イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

音楽:小山田壮平バンドツアー大阪公演

 どうも、たけです。andymoriのボーカルだったことで有名な小山田壮平のバンドツアー大阪公演@なんばHatchに行ってきました。元andymori小山田壮平と藤原寛に加えて、久富奈良(Dr/Gateballers、ナツノムジナ)、濱野夏椰(G/Gateballers)というバンドメンバーです。みんな小山田壮平主宰のSparkling Recordsの人っぽいです。

 小山田壮平関係のライブに行くのは初めてでした。僕はandymoriがかなり好きですが、好きになったのがandymori解散後だったので、バンド構成でandymoriの曲や小山田壮平の歌を聴けたのはなかなか感慨深い体験でした。

 

 セットリストは次のブログを参照

2019/09/19小山田壮平バンドツアー セットリスト・感想メモ: andymori/AL関係のなんやかんや

19曲中、andymoriの音源化されてる曲は8曲? 詳しい人からしたら全部ライブやツイキャスで聞いたことがある曲らしいですが、CDでしか聞いてない僕からしたら知らない曲もたくさんありました。一通りよかったです。

 andymoriiは3ピースバンドだったけれど今回は4ピースだったこともあり、andymoriのあの軽快に疾走していく演奏よりももう少し厚みのある感じだったかなーと思います。アレンジもいろいろでした。

 小山田壮平はやはりボーカル力がやばいですね。若いころのあれほどのバイブスはないにしても、その片鱗というか真髄というかはやはり出ていて、「ベンガルトラとウィスキー」なんかはやっぱしびれました。

 

 会場のなんばHatchは2000人弱のところで、意外と当日券は出ていたみたいです。到着が遅れたのもあって後ろの方でのんびり見てました。お客さんは20代以下の若い男女が多かったように思います。

 

 これはもう完全に余談というか関係ない自分語りなんですが(ブログとはそういうものである)、なんか、ライブに行くと楽しいのだけれど、同時になんとなく落ち込んでしまう。舞台で輝く人たちと、それを下から見ている自分との対比にやられてしまう。

 あとは、相対性理論のライブに行った時もそうだったけれど、なんとなく物足りなさがある。自分のライブ体験の中で強烈なのは初めて行ったチャットモンチーの変身ツアー(二人体制初のツアーでバイブスがやばかった)、チャットモンチーのラストワンマン@武道館だったり、去年行ったMCバトルのKOK2018だったり。そういう、音楽を聴くだけじゃなくて文脈的重要度の高いメモリアルなライブのあの強烈な感動みたいなものが焼き付いていることで、「通常の」ライブに物足りなさを感じてしまうというか、楽しみ方を心得られていない感じ。家でご機嫌にライブ映像を見ることとの差が小さいのかもしれない。これは音楽に限らず様々なコンテンツに関して思うことでもある。ネットで写真や映像を見ることと、現場に行くこととの差が、大きいものもあれば小さいものもある。非日常を求めて行くのだけれど、日常の範疇で終わってしまう感じか。そのあたりをしっかり心得たうえで、いい感じの心持ちで臨む様にしていきたい。

 

 好きなバンドTOP3がチャットモンチー相対性理論andymoriなので、ようやくそれらの(関連の)ライブに一通り行けました。よきかな。

 最後にandymoriのオススメ曲並べておきます。

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テラスハウス2019-2020 第16話 感想

 どうも、たけです。新カテゴリー「テラスハウス」です。

 僕はテラスハウスの大ファンでして、遡って(Netflix移行後の)全ての感想をそのうち書こうとも思っていますが、とりあえず現在進行中のシリーズ「テラスハウス2019-2020」の第16話について、特に香織と翔平(敬称略)の関係にグッと来たので、感想を書こうと思います。

※ 僕は全住人の幸せを願いながらテラスハウスを見ています
※ 以降の「誰それは~と思っているのでは」みたいなのは全て僕の勝手な想像です

 

 

翔平について

 まず、翔平について。彼の仕事観や生き方は、圧倒的な仕事強者であるスタジオメンバーには批判されがちですが、僕は実にイケてると思います。将来の目標からトップダウン式にやっていくのではなく、今やりたいことをやってボトムアップ式に生活を成立させていくような、そんなスタイル。その肯定によって救われる人も多いと思います。ただその説明の時に言い方がきついことで反感を買うのは本当にもったいない...。翔平がやろうとしている仕事が「役者」や「物書き」みたいな、クリエイティブで競争が厳しそうな印象のものだからより反発があるのだとも思います。でも翔平が「もっと仕事で上に行きたい」みたいなことを言ってるのなら別なのですが、現状に満足している翔平に対して勝手に「もっと上を目指せ」「もっと努力/苦労しろ」と言ってるような意見は的外れに思います。努力が趣味の人間のその勝手な趣味を押し付けないで。

 第15話における、ルカとの会話での「結局仕事なのかね」という指摘もめちゃくちゃしびれました。自由で、ゆるくて、周りの人を楽しませれて...。翔平さん、かっこいいっす。

香織について

 素敵な人ですよね。仕事ができて、気が利いて、相手のことを尊重出来て、それでいて気さくで。それでも(それが故に)いろいろ悩みを抱えていらっしゃる。(刀削麺のように)アウトプットばかりでインプットが少ないという悩みも、あーーって感じです。

 彼女が「翔平に憧れる」と言っていた気持ち、なんとなく僕もわかる気になっています。自分の「優等生性」に少しばかりコンプレックスを抱いてる人にとって、ああいう何にも縛られずに自分のままにのびのび生きている(ように見える)人ってめちゃくちゃかっこいいんですよね。そういう人に反射して見えてくる自分の媚びたフェイクさが恥ずかしくなる。

 香織さん、よくあるパターンで言えば、個展が終わったタイミングで卒業するとかありそうなもんでしたが、実際には卒業の気配すら見られないのはやはり翔平に対する未練があるからなんでしょうか。

プレイルームでの翔平と香織

 めちゃめちゃグッときました。「香織には婚約者がいるらしい」「翔平には彼女がいるらしい」という噂(共通の知人、なにしてくれてんねん)をお互いが気にして、でも本人には聞かず、身を引いていたということ。お互いにお互いをリスペクトしてきたからこそ、相手の在り方を尊重したくて、そこに踏み込むことができず、そんな距離感になっちゃったんですかね。くぅ〜。こういう噂って「テラスハウスに出るにあたって表向きにだけ別れた」という推測ができるから信憑性増しちゃうんですかね。それでもやっぱり消せずにくすぶっていた気持ちがあり、それを今回伝えあうことで二人の関係が大きく展開したように思います。

 香織の「翔平が気になるからマネジメントやめてもらった」という健気な告白。翔平の「セックスはしまくってるけどね」という発言を軽く受け入れる香織さん。翔平の魅力はそういう何にも縛られないところですからね。信頼関係とリスペクトによって成立する、めちゃめちゃグッとくる高度なやり取りでした。

 二人が付き合うとかになるのかわかりませんが、二人の関係が良好であることを応援しています。

香織と春香との会話

 これは未公開映像も見てほしいです。翔平と春香がデートした回(たぶん5話)の放送を見たことがきっかけとなっています。このとき翔平は「春香みたいにズバズバ言う方がいい」てきなことを言っています。これを見て香織は「自分はそうじゃない」ということで刺さったと言っています。ここで現れる一つの選択肢として「翔平に気に入られるためにズバズバ言うことにする」という考えもあると思います。しかしながら香織は「翔平が堂々と自分らしくいること」に憧れているわけで、「気に入られるために自分らしくないこと(ズバズバ言うこと)をする」というのは彼から学んだ在り方と相反するわけです。これによって「翔平に好かれたい気持ち」と「翔平のように自分らしくいたい気持ち」が衝突しうることになります。その上で、香織は「ズバズバ言わないのが自分らしさだ」と言って後者を優先するわけです。こういうところからも、香織の翔平に対する想いが単なる「付き合いたい」ではなく、「人として尊敬して憧れている」という誠実な気持ちであることがわかります。

 また、「誰に相談していいかわからない」というようなことを言っていましたが、これは「(ほんとは翔平に話したいけど)」というカッコつきのように聞こえました。

ルカの夢

 さて、もう一人の重要人物、ルカ。もう止まらないですね。ルカの言う「小学生レベルって言われるけど」の「小学生レベル」は世間で言う「幼稚園児レベル」で、ルカの言う「自分のはもっと考えてる」は世間で言う「小学生レベル」なのかも。ルカの認識が数段ずれてるせいで、周りの感想に対してルカの認識が噛み合わない。

 ルカに対して思うことは、夢問題です。これはテラスハウスでたびたび表出する大きなテーマですよね。どうなんですかね、ルカは、夢を具体的に叶えたいんですかね? 一括りに「夢」といっても、その内実というのは多様です。実際に叶えるつもりの具体的な「目標」としての「夢」もあれば、漠然とした憧れとしての「夢」もあるわけです。最初の東京編ではタップこと雄基が夢の実現に具体性を求めてめちゃめちゃ引かれた(dream police事件)のに、今回はルカが夢の実現性のあいまいさで怒られている。結局のところ、dream police事件での批判は「美月だって頑張ってるのに」という視点であって、ルカに対しては「もっと頑張れよ」ということなのだとすると、「みんな夢を叶えるために努力すべき」という価値観の中でやってただけということなのか。スタジオメンバーが仕事強者ばかりであることが最近きつい。

 例えば「お金持ちになりたい?」って聞かれて「お金持ちになりたいなー」って言った途端に「じゃあお金稼ぐためにちゃんと努力してる?そんなんじゃお金持ちになれないよ?もっとしっかりしな!」って言われたらしんどいと思います。それと同じ感じじゃないですか?「ルカは将来どうなりたいの?」「マーベルになりたい」「じゃあそのためにちゃんと努力してる?そんなんじゃマーベルにはなれないよ?もっとしっかりしな!」って。「夢を叶えるために努力しないといけない」とか「夢は否定したらだだめ」とか「夢は応援しないとだめ」とか、そういう観念によって変なことになっています。夢を夢のまま抱き続けることを許容する道だってもっと尊重されていいじゃない。(ルカが実際に夢をどう考えてるのかはわかりません)。

 ルカが本当のところでどうしたいのかはわかりませんが、ルカの視点からいろいろ考えてアドバイスする必要があるのかなと思います(めちゃめちゃ難しい)。その辺はケニーさんの卒業インタビューでの言及が温かかったです。ルカの良いところにもっと注目したい。

  これは余談ですが、ルカ、ジャニーズとか入れてもらわれへんのかな。とりあえずモデルとかやったら良さそうなものを。 

 

 以上、テラスハウス2019-2020 第16話の(一部の)感想でした。住人のみなさんの幸せを願って...。

 

今月のいいね 2019年8月編

 どうも、たけです。おそばせながら、SNSなんかで気になったものをざっくり紹介していくコーナー、2019年8月編です。

 

 

ドローンショー

  毎月いいねと思ってる。進化の速度がすごい。ショーとしてのレベルが次の次元に言った感じがある。この動画がリアルタイムなのか早送りかもよくわからないくらい、レベルが高くてよくわからない。リアルタイムだったらだいぶイケてる。GPSだけでこれだけいけるものなのか。各たぶんドローンは事前にプログラムされた通りに動いてるんでしょう。

Battles

youtu.be

 「新曲が出た」というツイートを見て存在を知ったBattles。とてもよい。インストの曲は非言語的なので、文章を書いたり読んだりしていて耳が寂しい時のBGMに適しているというのもよさ。

Moe and ghostsのライブ映像 

  以前紹介したMoe and ghostsの珍しいライブ映像がYouTubeにあるのを発見。Twitterアカウントを遡ると普通にあった。この動画自体は今は限定公開(検索結果やチャンネルのページには出てこない)なのだけれど、URLを乗せたTweetが残っていて跳べてしまう。期間限定として公開したあと限定公開に切り替えたっぽいけれど、動画のURLがそのままというのはYouTubeの仕様がやや悪いように思える。

ABUロボコン

  速すぎ。昔からロボコンをテレビで見るとおもしろい。ABUロボコンは、よくテレビでやってるNHKロボコンで優勝すると出れるアジア・太平洋大会。この動画は中国のチームのベストラン。最初に動いているロボットが全方向移動なのと同様に、脚ロボットの方も脚の向きを変えられるようにして旋回不要の高速移動を実現している(二台目のロボットは車輪型ではなく脚型ロボットじゃないといけないルール)。

 車輪型で全方向移動をするにはオムニホイールかメカナムホイールを使うのが普通。ただ中国チームの場合は、機構がややこしいけれどより速い加速度を出せる4輪ステアリング方式を使ってる可能性も高い。

 オムニホイールの動作の様子。各車輪に小さい樽輪がついていて、横方向にはフリーで転がることができる。このオムニホイールを異なる向きにつけることで、縦と横に自由に移動できるし、斜めにも動ける。

youtu.be

アニマトロニクスのリス 

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 動物などの動きを機械的に再現することを頑張る分野をアニマトロニクスという。なかなかリアルだし、ターミネーターっぽさがある。細い腕にはアクチュエーターを入れずに、持っているクルミ側を動かすことで腕の動きを再現するというのもおもしろい。

VR空間での撮影

  これは現実と非現実がかなり実用的に融合されてる。すごい。職人の技術をVR空間で活かす、めちゃめちゃいい例。このカメラマンが実際に歩き回るのではなくトレッドミルの上で動いていたらもっとSF感あるのかも。

 浅野いにおの日記連載

www.webchikuma.jp

 webちくまで連載されていた、漫画家の浅野いにおの日記が最終回を迎えた。浅野いにおがかなり好きなので毎回読んでいたけれど、なかなかおもしろかった。初期のころは別で漫画家鳥飼茜の連載もあって、漫画家どうし仕事観の違いとかも見えておもしろそうだと思っていたら、注意して読むと鳥飼茜の日記に出てくる「彼氏」が浅野いにおで、浅野いにおの日記に出てくる「彼女」が鳥飼茜であることに気づくという衝撃があった。二人はよくケンカをするけれど、わりと感情的な鳥飼茜と淡々としている浅野いにおとの両サイドからの見方を比較するのはなかなかおもしろかった。浅野いにおはやばい。

おもしろければ何でもいい

  こういうパターンは注意しないとよくあるように思う。「表現の自由」てきは話題でもそう。「これは悪い表現だから表現の自由の範囲外だ」とかはトンデモである。「自由」における「”自由”というのは他人の権利を侵害しないかぎりの自由」みたいな言説にもわりともやもやがある。それは”自由”ではない。

 

以上、今月のいいね 2019年8月編でした。

漫画:和山やま『夢中さ、きみに。』紹介&感想

 どうも、たけです。今日は和山やま作『夢中さ、きみに。』という漫画を紹介します。

 

www.kadokawa.co.jp

 

 「連投ツイートで一話分試し読みさせるやつ」で読んでおもしろかったので購入して全部読みました。

 

 変わった男子高校生の林君周辺の話と変わった男子高校生二階堂君周辺の話です。BLっちゃBLみたいなんですが、男子高校生が男子高校生を「かわいいな~」って思うくらいの、そういう解釈しなければBLにならないライトなやつです。

 

 まず絵が魅力的で、ややレトロというか上品というか。表紙の絵も程よい塩梅でフェティシズムが漂っていてグッときます。こういうタイプの男前、実にいいんですよね。

 話もおもしろくて、ほんわかクスクス楽しめる感じです。上で引用した試し読みでも溢れてると思いますが、センスが絶妙。Twitterのアカウント名が「おいも3兄弟」「仮釈放」というすばらしさよ! 霜降り明星の「豪華客船」(M-1決勝の一本目)であったラジオネーム「みそしる大臣」に匹敵するスーパーハイセンスです。そういうセンスの良さが全面に表れている作品です。

 

 以上、和山やま『夢中さ、きみに。』の紹介&感想でした!

ナイツ塙宣之『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 紹介&感想

 どうも、たけです。

 最近発売されて話題の、ナイツ塙宣之著の『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』 の紹介と感想です。

books.shueisha.co.jp

 

 もともとは下記インタビューが好評だったことで企画された本だそうです。僕もこのインタビューは読んでいて印象的だったので本も読むことにしました。

shinsho-plus.shueisha.co.jp

 

 内容は基本的にM-1グランプリの分析です。ざっくりインタビュー形式になっていて、かなり読みやすかったです。NetflixAmazonプライムビデオで過去のM-1は全部見れるので、本で言及された部分を確認しながら合わせて楽しめました。

 短い章(質問と回答)が並んだ形式になっています。いくつか質問のタイトルを紹介します。

Q1 M-1は「しゃべくり漫才」が強いという印象があります

Q4 よく「練習しない方がウケる」 と言いますよね?

Q7 「日常会話=漫才」は関西ならではの発想のような気がします

Q16 「M-1は100メートル走」の持論は、非常にわかりやすいですね

Q17 自虐ネタは、あまりお好きではないようですが

Q23 究極のボケは「存在」ということですね?

Q40 吉本芸人の王者が多いのは、ある意味、当たり前ですよね

Q42 M-1は、漫才という競技の中のM-1という種目の大会なんですね

Q43 10分以上のネタをやらせたら、ナイツは日本一です

Q46 関東の日常言葉は感情を乗せにくい。漫才に不向きなのでは

Q53 非関西系のM-1王者はすべてコント漫才。なぜですか

Q62 M-1の遺伝子は、やはり「新しいもの至上主義」ですよね

Q66 日本漫才市場、イケメンであれだけウケたのは徳井さんくらいでは?

Q89 今の時代は「ツッコミが華」と言われます

などなど。非常に幅広く充実した内容になっています。大きくはM-1第1期、つまり一度M-1が無くなる前の2010年までの話がメインになっています。

 

 僕はそれほどお笑いファンという感じではなく、YouTubeでいろいろ眺めたり、M-1の時期だけGyao!で予選の動画を見たりするくらいです。あとは「オードリーのオールナイトニッポン」と「霜降り明星オールナイトニッポン0」を欠かさず聞くくらい。そのくらいでも、この本は十分楽しめると思います。M-1に詳しくなくても、気になったところは読みながら該当部分を見ていけばいいですし。漫才、ひいてはお笑いに対する解像度がグッと上がりました。芸歴だとか事務所だとか出身地だとか、そういう要素を踏まえて見るとまた一段おもしろくなりますね。

 僕は「おもしろさとは」みたいなことを考えるのがわりと好きなので、そういう点でもかなりよかったです。自虐ネタはどうだとか内輪ネタはどうだとか、形式や時間によってどのような差があるのか。漫才以外にも応用できそうな知見が盛りだくさんでした。あっさり読めるので、かなりおすすめです。

スターウォーズ エピソード456123 感想

 どうも、たけです。更新が止まることに対する抵抗がどんどん薄れてきました。またしばらく復活です。

 

 ふと思いついてスターウォーズのエピソード4,5,6,1,2,3を見ました。断片的には見たことあったのですが、いろいろ忘れていますし、改めて押さえておこうかと。発表順に見ました。映像技術の発展を追いかける感じもあってよかったです。公開年は以下の通り。

最初の3つが「旧三部作」、次の3つが「新作部作」で、今新たに公開されてるやつが「続三部作」と呼ばれるようです(wiki曰く)。続三部作は最初にジョージ・ルーカスが構想していたものとは大きくストーリーが異なるらしく、僕的にはスピンオフ的なもとのみなすことにしたため、ひとまずこの6作品をみたところで満足しました。9作目の公開が近づいたら残りも見る気がします。

 最初の方は古いのもあってそんなに面白くなかったんですが、新三部作に入ってからどんどんおもしろくなってきて、最終的な満足度は高かったです。では、それぞれの感想と、全体的な感想です。

エピソード4 新たなる希望

 いろいろチープで驚きました。古いから、というのが大きいですが。チープなコスプレのようだったり人形劇のようだったり。チャンバラシーンものっそりしていますね。ストーリーもいろいろあっけないというか、こんな雑だったんだなーと思ってしまいました。いろんな容貌の宇宙人たちが楽器でポップミュージックを演奏しているところとかなんか恥ずかしかったです。デススター、敵が設計図を見ただけで解明できる弱点に対して何の対策もしていないというのはどういうことか。そしてあんな巨大なシステムなのに一か所破壊するだけで崩壊するというお粗末さ。そういうの、よくないと思います。公開当時の目線で見て感動してみたかった。そしてR2-D2のキャラクターがよすぎる。造形も最高だし、物言わぬドロイドにあれだけのキャラクターを構築できたのやばい。

エピソード5 帝国の逆襲

 「帝国のマーチ」でしたっけ。あの曲がついに流れましたね。流れてから気づきましたが、そういえばエピソード4では流れていなかった。ダース・ベイダー、強烈なヴィジュアルは魅力的であるものの、悪としての魅力がそれほどでもないように思いました。強権的な恐怖政治、というだけで、なんというか、それだけ。悪の流儀みたいなものがない。悪の親玉がダース・ベイダーではなく皇帝であることもあり、悪役としてなんだか映え切ってないように思えました。そしてR2-D2がよすぎる。

エピソード6 ジェダイの帰還

 敵のいる星に乗り込んで、そこの原住民と仲良くなって、原住民の協力によって敵を倒す感じがめちゃめちゃONE PIECEでした。ルークがめちゃめちゃ強くなったのかなと思いきやなんだかそうでもない感じで、もやもやします。最初もめっちゃすごそうに出てくるのにすぐ捕まるし、原住民に手足縛られて木に括り付けられてるところとか滑稽すぎます。それとか、あと、最後、皇帝の倒し方、持ち上げてぶん投げるて。そういうところが映画としてなんだかなーという感じです。あといくらなんでもR2-D2がよすぎますね。

エピソード1 ファントム・メナス

 ここから新三部作。これは何度か見たことあったのでわりと内容は覚えていました。もっとおもしろいと思っていましたが、そこそこおもしろいくらいでした。アナキンかわいすぎですね。ポッドレースのシーンと戦闘シーンはかなりよかったです。

 旧三部作ではルークがそんなに強くない感じがストレスだったのですが、新三部作からはジェダイ一騎当千っぷりが高まって気持ちいいです。ライトセーバーを活用する場面がぐっと増えました。全部見て気づきましたが、ダースモールが使っている両側にレーザーが出るタイプのライトセーバーみたいな、ああいう特殊な形状のライトセーバー、意外と他に出てないんですね。あと敵が赤色のライトセーバーを使って、味方のクワイ=ガンとオビ=ワンが青と緑のライトセーバーを使ってて、ビジュアル的にかなりきれいだったのですが、後の作品では味方二人が同じ色のライトセーバーを振り回す場面も多くて、そこまでこだわりがあるわけじゃないのか、それとも僕が理解できていない効果があるのか、よくわかりませんでした。それにしてもあいかわらずR2-D2は魅力的ですね。

エピソード2 クローンの攻撃

 ここから一段おもしろさが上がったように思います。アナキンの内面が出てきたからとか、来るべき結末に向けて動き出した感じとか、アクションシーンのレベルが上がってるからとか、そういういろいろだと思います。ここで初めてヨーダの戦闘シーンが出て来ますが、ヨーダ俊敏すぎてめちゃめちゃ上がりますね。ジェダイの戦闘スタイルがそれぞれ違う感じもいいです。ヨーダライトセーバーは少し短い。R2-D2、飛べるんかい!すごすぎ!さすが!

エピソード3 シスの復讐

 順当に一番おもしろかったかも。アナキン、転げ堕ちすぎやろ。旧三部作と新三部作をつなぐ答え合わせが一気に行われましたね。結局、エピソード1からあった、アナキンに対する「予言の子」みたいなノリが、アナキンが父親なしに懐胎した子であるというエピソードも含めて、よくわかりませんでした。そこまで圧倒的には強くないし。いちおう最終的にシスの親玉を倒したのはアナキンだし、そういうことなんですかね。なんだかね。R2-D2が最高。

 

全体的な感想

 全魅力のうち7割がR2-D2ライトセーバーによって担われていたのではないでしょうか。R2-D2、あんなのどうやって思いついたんですかね。C3-POもセットでいいんですけど、人型でおしゃべりな通訳ロボットと、よくわからない形のピコピコ言うやつが同時に登場してるのやばすぎます。そしてそのなんかピコピコ言ってるやつがめちゃめちゃに優秀と言うね。そしてピコピコ言ってるだけなのに飄々として大胆不敵で勤勉な性格が浮かび上がっている。R2-D2の発明、すごすぎる。そしてライトセーバー。旧三部作ではライトセーバーでのチャンバラと戦闘機での撃ち合いに同じくらいのウェイトが置かれていましたが、新三部作ではぐっとライトセーバーの比率が上がりましたね。ストーリーはアナキンがダークサイドにどう堕ちるかくらいがポイントで、共和国とか通商連合とか元老院とかはそんな気にせず、アクションシーンを楽しめばそれだけで十分楽しい映画ですね。

 アクションシーンを楽しむだけなら新三部作を見ればいいと思いますが、せっかくならやはり発表順に全部見るのが良い気がします。新三部作は大きく「ダース・ベイダーの誕生」を描いているので、そのダース・ベイダーを知るのに旧三部作を見ておいた方がいい。あとよぼよぼのヨーダをしっかり見ておくべき。その上でヨーダの戦いを見るとぶち上がる。旧三部作は古いこともあって物足りない部分も多かったですが、新三部作になってから世界観がどんどん補強されたことで、旧三部作についても最終的にはよりおもしろく感じるようになりました。シリーズ全体として見た時の完成度が高いです。

 結果的に9作品がなぞる、今→過去→今の続き的な時系列の追い方は、よくあるっちゃよくある非常に典型的なパターンだと思います。漫画とかでも普通に物語が進んだのち、過去編があって、また現代に戻ってその続きをやりますよね。めちゃめちゃ王道の流れです。

  もやもやするところも多かったです。ご都合の良さが目立つ。基本的に味方には弾が当たらない感じとか、パドメやレイアのような姫的存在の人がめちゃめちゃ前線に立つ感じとか。あとスターウォーズは遠い遠いはるか昔を舞台にしていますが、そのタイプのSFに対して、じゃあなんで人型やねんと思っちゃいます。未来でええやん。

 

 スターウォーズ、おもしろかったです。こういう著名な大作を見た後は達成感がありますね。

サイで考える罪 応報主義と帰結主義

 どうも、たけです。

 刑法学に関する聞きかじりのにわか知識で考え事をします。そういうブログなので許してください。

きっかけ

 こんなニュースがありました。

www.asahi.com

 このニュースをきっかけにして、このニュースとは異なるフィクションの中でいろいろ考え事をしたいと思います。人を殺したサイに罪はありますか?あるとすればどういう罪ですか?サイは罰を受けるべきですか?受けるべきとすればそれはどんな罰ですか?

 

応報主義と帰結主義

 さて、先日紹介した綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど』の第6章「差別は意図的なものか」の中で、刑罰理論の応報主義と帰結主義の話がありました。

 犯罪者は自由に行為を選択して法を犯した。それゆえ、犯罪者はその行為に見合った罰を受ける。これは当然の報いである。このように刑罰を正当化する議論は、応報主義と呼ばれる。いっぽうで、刑罰は、ほかの犯罪を抑止するなど、さまざまな社会的利益を期待できるとして、その社会的利益をもって刑罰を正当化するような議論は帰結主義と呼ばれる。

綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど』 P. 255

「応報主義」では、その行為の「罪」に対する報いとして「罰」を与えることを正当化します。

帰結主義」では、今後の犯罪抑止や再犯防止といった社会的利益を期待することで「罰」を与えることを正当化します。

 

人を殺したサイの場合

 では、それぞれの考え方で「人を殺したサイ」について考えてみます。

応報主義の場合

 人を殺したのだから、「人を殺した」という「罪」に対する報いが必要であるとして、サイに罰を与えることを正当化することは可能だと思います。

帰結主義の場合

 サイに罰を与えるためには、サイに罰を与えることによって期待される効果を説明する必要があります。例えば「攻撃性の高いサイであり、今後も同じような被害が出てはいけないので、対策が必要である」というものです。しかしながら、これは必ずしも「罰」を正当化するものではありません。あくまで「今後同じような被害が出ないように対策すること」の正当化であり、それは必ずしも殺処分や拘束とは限らず、飼育環境の改善や野生に返すなど、様々な手段が対象となります。そしてそれが「罰」である必要があるのか、「対策」なのかは気になるところです。

動物の攻撃性

 たとえば家で猫とインコを一緒に飼っていたとして、その猫がインコを食べてしまったとします。このとき、猫に罪はありますか?

 たとえば野生のトラを観察しに行った人が、そのトラに襲われて殺されたとして、そのトラに罪はありますか?

 というような問いを考えると、そもそも攻撃的(とも言える)性質を持つ動物がその攻撃性を発揮することに罪を認定できるかというと、なんだかそれは人間の都合による理不尽なことのように思えます。この理不尽さは応報主義的には「罪」を認められないから罰も何もない、ということ?知らんけど。帰結主義的にはそれを非難するによって得られる効果がないということ?知らんけど。あるいは異なるルールで動いてる世界に自分のルールを適用することが理不尽だから?

 理不尽といえ、熊の殺処分や野良犬野良猫の殺処分などは行われますよね。それは応報主義的に罪に対する報いとして行われているというよりかは、帰結主義的に考えたところの「対策」であり、「人間社会的に被害を少なくしたい」と「なるべく動物に攻撃したくない(倫理的葛藤)」とを天秤にかけた結果として前者を優先した結果であると思います。その場合、あえて嫌な言い方をすれば、動物たちは人間社会の都合によって犠牲になっているわけです。その是非については特に意見はないです。そういうもんでしょう。

人間の攻撃性

 たとえば生まれつきの性質として、さらには生まれついた環境の影響によって、攻撃的な人がいたとして、その人がその生まれついた攻撃性によって人を攻撃した場合、そこに罪はありますか? 人を殺したサイ、インコを殺した猫、人を殺した野生のトラ、これらと同じように考えてみたとして、今考えている攻撃的な人には罪はありますか?てきなね。少なくとも帰結主義的には社会的な効果を期待してその人に対して何らかの「対策」を講じることを正当化可能だと思います。応報主義的に考えたとして、あなたは「罪」を認めますか?どうしますか?てきなね。

というお話

 というような疑問を投げかけたいだけのお話でした。僕はごりごりに相対主義者なので、みんなそれぞれの事情の中で勢力争いしているだけで絶対的な善とか悪とかわかりませんし、その勢力争いの片側に対して安易に「罪」を認定するような思い上がりは嫌いだし、誰かに干渉することを正当化するには「帰結主義」的な考えでしか難しいと思っています。それも正当化できているというよりかは「最もマシ」という感じですが。『「差別はいけない」とみんないうけれど』にもそういうきっかけでこの話題が出ていると思いますが、ネット炎上にしろ差別批判にしろ、応報主義的な「罪」を認定してわらわら叩いてるのが気に食わない。その程度で「罪」なんていいだしたらみんな山盛りかかえてますよ。僕には「悪意がなければ別にいい」という感覚があって、さらにそこから「悪意があって悪意があるわけじゃないから別にいい」みたいなことにまでなっています。僕は殺処分された野良犬に対して「帰結主義的な天秤によって社会的利益を優先されたんだな」と思いますし、京アニに放火した人がもし罰せられたら「帰結主義的な天秤によって社会的利益を優先されたんだな」と思いますよ。というお話。