イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

G・ガルシア=マルケス『百年の孤独』 感想編

 G・ガルシア=マルケス作の小説『百年の孤独』(新潮社)の感想編です。

 紹介編はこちら。

shogakuyonensei.hatenadiary.com

  

 たけ、むるが読みました。それぞれの感想です。

※以下、ネタバレを含みます

たけの感想

総合評価 ☆4.5

  登場人物が魅力的な人ばかりで、年を取ってからも渋く活躍していくのがとても好きでした。軽く読めるのに濃密で、短編何個分もの壮大な物語を堪能できて大満足です。今回魅力的に思った部分はだいたい紹介編に書けたのですが、こちらにはもう少し書き足りなかったことを。

特に印象に残ったキャラクター

 特に印象的なキャラクターはウルスラ、アウレリャノ大佐、小町娘のレメディオスです。

 ウルスラ、ああいう「大おかん」みたいなキャラクターはいろんな物語に登場しがちだと思いますが、その中でもかなり「おかん力」が高かったですね。めちゃめちゃ長生きするわ、盲目になってもばりばり働くわ、すごすぎます。彼女がブエンディア家の大黒柱として君臨していたからこそあんな無茶苦茶な街で無茶苦茶な一家が維持できていたので、彼女の死が一族の死のようにさえ感じました。最後子どもにおもちゃにされてましたね。なんと罰当たりな。占い師のピラルがまた別の柱としてしぶとく存在感を示していたのもグッときました。

 アウレリャノ大佐、とにかく渋くてかっこよかったです。若いころは錬金術に夢中になっているところが理系小学生としては好感が持てました。老後はとにかくかっこいい。革命の戦士みたいなのがこんな田舎でひたすら金細工してるというのは萌えます。金細工を売って得た金貨を溶かしてまた金魚を作ったり、最終的には作ったものを溶かしてまた作ってたわけですが、そういう「作業のための作業」のような行為には祈りを感じてグッときます。あと彼の銃殺刑が執行されそうになったときに兄のアルカディオが銃を携えて出てきたシーンは最も印象に残っているシーンの一つです。「アルカディオったら、そういう兄弟の絆あるんかい!もう!」ってなりました。

 小町娘のレメディオス、本作品のたくさんの登場人物の中でも最も幻想的な存在でした。彼女のフェロモンが町を狂わせる様子もおもしろかったですし、なによりその退場のしかたがたまりませんでした。あれはもうかばいようのないファンタジー。彼女は風に飛ばされて昇天したわけですが、そんなファンタジーも、ここがマコンドでそれが小町娘のレメディオスなら「そういうこともあるかもしれない」と思わされてしまう、そんな不思議な存在でした。

エンターテイメント

  この作品を読んだ時の印象が映画「パルプ・フィクション」を見た時の印象と似ています(映画経験値も文学経験値も低い中で類似性に言及するのは怖いですが、そう思ったんだもの)。単純に人物伝の集合のような構成が似ているというのは大きいと思います。あととにかくキャラクターが魅惑的なことと、それと相乗的に働く圧倒的な演出力?によって物語の起伏の有無に関わらずとにかくずっとおもしろい、楽しい、というのが同じ印象を抱かせるのかもしれません。エンターテイメント性の高さ。

 漫画でも特に鳥山明高橋留美子の作品を読んだときに「展開上重要な場面でもないしセリフが印象的というわけでもないのになんだか常におもしろい、なんでや...」と思いました。他の漫画や映画ももちろんそういうのの塊でしょう。なんの媒体であれ、プロットやキャラの力とも違う、言語化しきれない演出にエンターテイメントの本質を感じます。「同じ話でも〇〇が話すとおもしろい」みたいなのがわかりやすいですかね。『百年の孤独』にもそういったエンターテイメントの快感がみなぎっていたと思います。紹介編に書いた時系列の話なんかも含めて語りが巧みでした。

 ちなみに島本和彦の『アオイホノオ』という漫画(超オススメです!)で高橋留美子について「タイミングだけで漫画を描いている!」と評されており、かなり腑に落ちました。演出力。

メメのその後

 メメを覚えているでしょうか。黄色い蛾にまとわりつかれてるバナナ工場の作業員のマウリシオと付き合っていて、ぶちぎれた母親のフェルナンダに修道院に入れられた彼女です。(僕が見落としてなければですが) 彼女の死が描かれていないのが少し気になっています。物語ではブエンディアの血筋はみごと全滅っぽい感じになっていますが、メメはその後どうなったんでしょうか。修道院に入ったからにはもう子どもを産むようなことはないと認識すべきなのでしょうか。ブエンディアの人間がそう大人しくしてるのか疑問ですし、実はどこかに僕の知らないアルカディオやアウレリャノがいるのではないかと妄想も膨らみます。そういう余白、あるんでしょうか。全滅してたほうが粋な気もしますが。

むるの感想

総合評価 ☆4.0

    明確なストーリーや謎解きもなく、ただ淡々と進んでいく。出来事に大きな意味はなく、ときどき不思議な現象が起こるも、それが理由づけられることもない。その描写からは、南米の暑く乾いた気候や、雨季のじめっとした空気、生き物の生々しさ、人間の汗と体温などがひしひしと伝わってくる。脈絡もなく積み重ねられるディテールが圧倒的なリアリティを生んでいる。ある一族の人々が生まれ死んでいく様を外側から覗き見ている感覚。ブエンディア家の人々もあっけなく死んでいく。この作品にははっきりとした主人公はいない。マコンドという村とブエンディア一族が住む家こそが主人公であり、その盛衰を描いている。大抵の小説では主人公に感情移入しながら読んでしまうのだけれど、この作品ではマコンドに感情移入してしまい、マコンドが荒れていく様はどこか寂しかった。 

  はっきりとした主人公もおらず、わかりやすいキャラ設定や筋書きもないのに、これだけ読ませるのはやはり卓越した才能だと思う。大河力ですね。

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(『1日外出録ハンチョウ』「マンガ界に緊急提言」編より) 

 

    同じ名前の人物が繰り返し登場することも、一族の逃れられない運命を描く上で大きな意味があるのだと思うのだけれど、やはりたまに混乱する。たまに家系図を見るのだが、その後その人物が結婚することなどはそこから読み取れてしまうので、不意にネタバレを食らうことがあった。なので薄目で読んでいた。付箋を家系図のページに貼っておいたのが便利だった。f:id:shogakuyonensei:20190131142920j:image

(『バーナード嬢曰く。』第1巻より) 

 

  とはいえ、 それぞれのキャラクターが強烈なので、意外と名前も覚えられる。翻訳もすぐれており、長編にもかかわらず全体的に読みやすい。

  ところで、梨木香歩さんの解説「勤勉と受容――二軒の家をめぐって」にもあるように、この物語では人並み外れた人間が続々と出てくる。このことも物語の魅力の一つなのであるが、この「過剰さ」がしばしば性描写として表れ、それが大体面白い。

お祭りさわぎもたけなわになったとき、彼は数カ国語の文句が青や赤で刺青された、信じられないような逸物をカウンターに乗せて一同に披露した。目を輝かせてまわりに集まった女たちに、誰でもいい、いちばんいい値をつけてくれ、と言った。(p.114)

    でかいチンコでオークションをするな。

すると彼は、一枚十ペソのくじをみんなで引くことを提案した。いちばん客の多い女でさえひと晩で八ペソかせぐのがやっとだったので、法外な値段だったが、みんなは喜んで承諾した。(中略)彼はこれを商売にし、国籍不明の水夫仲間に身を投じて、六十五回も世界を回ってきたのだった。(p.114)

    でかいチンコ一番くじをするな。

    解説によれば、「ガルシア=マルケスの小説には繰り返し、辟易するほど巨大な睾丸、貪欲な下腹という描写が出てくる」(p.490)らしい。巨大な睾丸に対するこだわりなんなんだよ。

   最後はなぜか下半身の話になってしまった。

 

以上、G・ガルシア=マルケス作の小説『百年の孤独』(新潮社)の感想編でした。

 

 

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)

百年の孤独 (Obra de Garc´ia M´arquez)