イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』 感想編

 ダニエル・キイス作のSF小説アルジャーノンに花束を』(ハヤカワ文庫NV)の感想編です。

 紹介編はこちら。

【ここに紹介編のリンクを貼るべし】

  

 たけ、むるが読みました。それぞれの感想です。

※以下、ネタバレを含みます

たけの感想

総合評価 ☆3.0

 「人生」という感じの物語が好きなので、一部始終が語られるのは満足感がありました。SF、知的障害者の話、青春、家族関係、人間心理など、要素盛りたくさんでした。幼少期の記憶が徐々に蘇るところなんかはミステリーのようでもありました。読みやすかったですし、「いい話を読んだな」「読んでよかったな」という爽やかな印象はあります。特別感銘を受けたというほどではないです。

チャーリーの変化と文体

 文体の変化について、体験としてわりとおもしろかった印象です。序盤の文章は「拙い文章を書かなければいけないが、物語は伝わらないといけないし、読みにくすぎてもいけない」という制約の中での訳者の奮闘をメタ視点で楽しむようなところもありました。その後、思ったよりも急激にチャーリイが賢くなり、ビシビシとキレのある文章になっていくのは爽快感があっておもしろかったです。文体の変化に関してなんとなく前半よりも後半の方が効いたのは、獲得よりも喪失の悲しさが印象的だったからかもしれません。特殊な演出としていいエンタメ要素でした。

 これはちなみになんですが、フリースタイルダンジョンでおなじみ裂固の「keep on running」という曲に「やっと始まった青春を存分に謳歌」という歌詞があるのを思い出しました。裂固は中卒からのバイト生活を抜けてラッパーとしての青春ということでしょうが、チャーリイもやっと始まった青春をめちゃめちゃに謳歌してましたね。

母との再会

 印象的な出来事でした。チャーリイの知的障害を認めず、チャーリイに厳しく当たってきた母親はチャーリイの巨大なコンプレックスになっていました。それを克服するために意を決して会いに行った母親がぼけてしまっていたという皮肉。子どものころと知能レベルが逆転したわけです。妹からの肯定によってかなり救われたとは思うのですが、母親に対するコンプレックスをそうすっきりと解決できないところがよかったです。

彼にどうあってほしいと思うのか

 紹介編に「チャーリイの変化を目の当たりにしたあなた自身が、どういう印象を抱いのか。彼にどうあってほしいと思うのか。」と書きました。この物語を読んで「チャーリイが手術を受けるべきだったかどうか」「最後知能が戻ってよかったのか」ということを考えてみる人は多いのではないでしょうか。そのとき、「知能は一定より高い方がいい」というような価値観が自分の中に垣間見え、取るべき態度を迷います。

 チャーリイがパン屋の仲間にひどいことをされているのに無自覚だったことを考えると、それに気づける程度ではあってほしいと思うことは正当な気もします。しかし、それは手術前のチャーリイに対して失礼なようにも思います。結局はチャーリイ自身がどう思っているかが重要なのでしょうが、その問題に対して考えるとどうしても「知能が一定より高い側」の自分の傲慢さが気になって、物語の中でチャーリーを苦しめていた人々と自分も変わらないのかもなと思わされます。先ほど「ビシビシとキレのある文章になっていくのは爽快感があって」と書きましたが、この爽快感も知能はあった方がいいと思っているからこそかもしれません。

 

むるの感想

総合評価 ☆3.5

  主人公チャーリィの知能とそれに伴う内面の変化を一人称視点を巧みに描いている。知的障害者の内面を想像して表現するには相当の表現力と覚悟が必要であろう。この作品をSFのジャンルに入れる客観的根拠は、知能を向上させる夢のような手術(と権威あるネビュラ賞を受賞したという事実)くらいしかないと思われるが、この作品を特別なものにしているのは間違いなくSF的想像力である。

  手術によりチャーリィの知能が向上し、また最後には元の知的水準に戻るのはあくまでフィクション作品の筋書きに過ぎないが、これは現実の人間が体験しうる人生を圧縮したものとして捉えることもできる。急激な知能の向上により、チャーリィはそれまでの優しい心を失い、人間関係に歪みが生じる。われわれも、たとえば親世代よりも高度な教育を受けて階層移動を経験することにより、それまでの家族的地域的な関係性から離脱することがある。この「変わってしまうことによる寂しさ」は、チャーリィだけのものではないだろう。

  また、チャーリィの場合は手術の結果として知能が再び低下したが、われわれも老いとともに似たような経験をするはずである。加齢による知的身体的能力の低下を受け入れられずに困惑する人も多いと聞く。チャーリィはそれを受け入れた。自分に同じことができるかどうかと考えると他人事ではないように感じられる。

  不満に思った点も述べておこう。IQ180の天才となったチャーリィは自らが受けた手術の限界を研究によって明らかにしていくのだが、そこで描かれる天才性に凡庸なものを感じてしまった。チャーリィが取り組んだ研究は神経科学などの領域に属するものだろうが、まるで数学の天才のように机の上で思索を行うことで研究を進めており、多少の違和感がある。天才を描くことの難しさを思い知らされる。

  知的障害者の内面とその変化を描くことはもちろん作者にとっても簡単ではないだろうが、それは訳者にとっても同様だろう。序盤の報告書においては、おそらく原文のスペルミスなどを漢字の偏の間違いなどで表している。訳者の工夫も想像できておもしろい。次に読み返す機会があれば原文で読み、翻訳と比較してみたい。難単語にルビで和訳が振ってある講談社のルビーブックスシリーズにも加わっているので、これを使えば英語の勉強にもなりそうだ。

 

 

以上、ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を』の感想編でした。

アルジャーノンに花束を [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス

アルジャーノンに花束を [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス