イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

入不二 基義『相対主義の極北』 紹介&感想

 どうも、たけです。

 入不二 基義が「相対主義」について徹底解説した哲学書相対主義の極北』の紹介&感想です。ざっくり言うと「人それぞれ」という考え方の極みにあるものついて考えた本です。

 

www.chikumashobo.co.jp

 

紹介

 相対主義というのは「唯一絶対の真理や正しさはない」という考え方です。

  • 命題①を真とする考え方の枠組みA
  • 命題①を偽とする考え方の枠組みB

とがあった時、この二つが同時に成り立つのが相対主義です。これが同時に成り立つ場合、次のようになります。

  • Aに基づけば①は真
  • Bに基づけば①は偽

「①は真」「①は偽」という結論だけ見るとこの二つは相反することを主張していますが、それらがAとBという異なる考え方に相対的に成り立っていることは認めることができます。絶対主義の場合だとある絶対的な枠組みが存在するため、異なる枠組に同時に立脚することはできません。逆に言うと、相対主義的にはあらゆる命題の真偽は枠組みに相対的にしか存在し得ません。つまり「Aに基づけば①は肯定されるためBは間違っている」というような枠組みを跨いだ主張は不適です。新たな枠組みCに基づいて「Cに基づけば『Aに基づけば①は肯定されるためBは間違っている』は肯定される」ということはできますが、それも枠組みCに相対的に成り立っているに過ぎません。

 本書の前半では、「相対主義」に対する反論・批判を論駁することで相対主義の堅さを証明していきます。「考え方は人それぞれ」という認め方をしている人に対して、「じゃあ『人それぞれじゃない』って考える人も『人それぞれ」って認めるんですか~?」と聞いてくるひょうきん者をなだめる感じです。ここでは相対主義のソリッドさにしびれます。あと相対主義の初歩の初歩から理解できていない哲学者がいることに少し驚きます。後半では相対主義の構造が様々なことに通じることが解説されています。隠れ相対主義探しです。

 本書は論理学的な話が多いですが、説明がかなり丁寧であり、難しい用語はちゃんと解説されるため、知識の乏しい僕でも楽しく読めました。

 

感想

My 相対主義

 理系小学生の僕自身は思想の用語に疎いため気づいてなかったのですが、友人から「たけの考え方は相対主義的である」という指摘を受け、この本を薦められました。哲学書を読んでみたい気持ちもあり、自分にそういう傾向があるなら強化するのも一興として読んでみたところ、実際に僕がごりごりの相対主義者であることが確認されました。僕自身の相対主義っぽい考え方はいくつか明確にフレーズ化されています。

  • 網膜による解釈を通した時点で見えてる景色は全てうそ
  • 各人が各人の世界を生きており、あらゆる思考は「思想」であり「宗教」
  • 幽霊が見える人の幽霊が見えるっぷりは、幽霊が見えない人の幽霊が見えないっぷりと同様
  • 自分がかけている全ての色眼鏡を外したい(自分で咀嚼して腹落ちしてない価値観をすべて吐き出したい)

 などなど。むしろ理系だからこそ「前提を仮定し、それに基づいて論理を組み立てる」「前提が変わればそれに合わせて結論も変わりうる」ということに感覚的な親しみがあるのかもしれません。僕の思想は相対主義の方が最適なムーブを選択できるからという実益的な要請もあれば、相対主義的な客観視の最果てにあるかもしれない絶対的な視点へのロマンでもあります。そのため、相対主義者であると同時に絶対主義的でもあり、その点でも本書の内容には共鳴します。

新鮮さ

 もともと相対主義的な考え方をしていたため、本の前半は「そりゃそうでしょう」ということが多かったです。友人と話していても(文理問わず)相対主義が腹落ちしている人とそうでない人がいるので、ネイティブに相対主義な人にはそれほど新鮮な話ではないかもしれません。ただし、当然僕が考えてるよりも徹底的に隙なく言語化され証明されていく過程はおもしろかったです。後半はいろんなことにその考えが通じることが示され新鮮で、特にアキレスと亀の話が相対主義的構造であることはグッときました。

物語、あるいはツールの使い方

 ピュアめな哲学書を初めて読んだ感想として「物足りなさ」がありました。僕は相対主義者である前に「目的合理主義者」のようなところがあり、相対主義はそのツールにすぎないという思いもあります。そのツールの使い方に興味があるのです。僕は物語好きというか、「ある考え方の解説」よりも「ある考え方を持った人物がそれを駆使する物語」が好きかもしれないと思いました。物語では語れないものもあるでし、これは学術書ですから無理な要望なのは承知していますが。相対主義は考え方としては最も基礎の骨組みのようなところがあり、まったく肉付けされていません。そこに物足りなさがあります。あるいは、本書に対して「哲学」というよりは「論理学」のウェイトが大きいと感じたからかもしれません。ソリッドな論理は大好きですけれど、その先が気になります。相対主義の構造を会得しただけでは何も変わりません。堅すぎるが故にどうとでも使える相対主義に基づいて、自己や他人をどう相対化し、どう立ち振る舞うかが重要ですし、僕自身としてはそこを模索していきたいです。