イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

逮捕と作品

 どうも、たけです。

 俳優やアーティストなんかが逮捕されると、その人が関わった作品が販売停止になることがありますが、あれってなんなんでしょうね。どういう理屈でそういうことをするんでしょうか。そこに正義はあるのか。気になることがいろいろあります。

 

逮捕と有罪判決

 逮捕された時点ではあくまで「容疑者」であり、有罪が確定しない限りその人はまだ犯罪者ではないはずです。逮捕された時点で販売停止などの対応をするのは気が早すぎませんかね。まだ犯罪者ではない人間を犯罪者扱いする方がよっぽどコンプライアンス的に良くないと思います。もし「薬物使用を認めた上で無罪になる」ようなことがあった場合に「薬物を使用したこと」を理由にそういった対応をするのはありだとは思うので必ずしも「有罪」がトリガーである必要はありませんが、少なくとも「逮捕」だけでそうなることには魔女狩り性があって強い反発を覚えます。そういうことをする組織、反社会的なのでは。「疑わしいので一旦販売停止にして、のちに潔白と分かればその時対応します」という態度、いい人のやり方じゃないように思います。

 出演者として迎えていた作品や広告が継続を控えることは「企業としてその犯罪のイメージが付随するのはよくない」ということならわりと納得できます。しかしそれも、有罪判決や事実確認を待たずして行う場合には不誠実な態度だと思います。

 

いつから犯罪者?

 例えば、20歳のころから作品を製作・販売し、25歳のころから犯罪に手を染め、30歳の時に逮捕され有罪判決を受けた人がいたとします。このとき「犯罪者の作品は販売しない」というルールに基づくとして、次の二つのやり方があると思います。
 ① 25歳以降の作品を販売停止する
 ② 24歳以前の作品も販売停止する
まず、①は「実際に法を犯した25歳から犯罪者となった」という考え方に基づいています。一方、②は犯罪を行った24歳以前からその人を犯罪者として扱っていることになるのではないでしょうか。この②の対応というのは「後に捕まるようなやつは最初からそういう人間である」というレッテルを張る態度の表明になりはしないのでしょうか?

 ①と②のどちらが適切かというのは、なぜ犯罪者の作品は販売しないとするかの理由によります。僕はそもそもそこがピンと来ていないのでなんとも言えません。ただ、何をもって「犯罪者の作品」としているのか、そしてその定義づけが何を表明することになるのかをちゃんと考えてるのか気になります。

 

いつまで犯罪者?

 そのアーティストなりが有罪判決を受け、刑罰を受けて社会復帰したとします。そうすると「前科者」ではありますが「更生」した人間に対して、いつまで販売停止のような対応を続けるものなのでしょうか。もしその後の作品は販売可能とするならば、それ以前の作品はどうなるのか。あるいは犯罪に手を染める以前の作品はどうなるのか。

 前科を理由に契約を拒否するとかはそうおかしなことではないと思うので、別に販売停止のままにすることがなしだとは思わないのですが、「いつから犯罪者?」の部分と筋の通った対応をしてほしいものです。また、前科者に対する対応は組織の思想の表明になりますね。

 

犯罪特需

 そのタレント単独の作品なんかまで販売停止とかするのって、「犯罪特需は不謹慎」ということなんでしょうか。犯罪者の作品でお金を稼ぐことは「不謹慎」で控えるべきとなり、じゃあその作品での収益を社会貢献に使えばいいかというと、そんなことしても儲からないので組織としては売る甲斐なし、という理屈なんでしょうか。何がどう「不謹慎」なんすかね。その作品が世の中から消えることの文化的損失とのバランスも気になります。そうやって一人の人間の過去を否定することの方がよっぽど不謹慎だと思うのですが、どういう倫理観なんでしょうか。そこにどんな正義があるのか。

 

社会的制裁

 「社会的制裁」というのは「しかたなく発生するもの」なのか「積極的に与えられるべきもの」なのか。体罰はダメ、私的制裁もダメ、でも社会的制裁はありなんですかね。捕まったタレントなんかに対して「今までの積み重ねが台無しになった」みたいな発言を見たことがありますが、台無しにしたのはそのタレントなのか、それに対する周囲の破壊的な対応なのか。

 

知らんけど。