聖書通読企画 その6 - マタイによる福音書 21-23章
どうも、たけです。マタイによる福音書の6回目、今回は21-23章について。
神殿から商人を追い出す
ついにエルサレムに到着したキリストの一味、イエスは神殿に向かいます。
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしている人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。」(21:12-13)
ここは前回話したサリンジャーの『フラニーとゾーイー』で、フラニーが幼いころに「なんてひどいことをするんだ」とキリストを非難した場面です。たしかに他の場面では見られない、暴力的というか過激に見える行いです。他ではすべて言論によって他人を説得しているのに、ここではごりごりに物理的に追い出しています。なぜイエスがこのような手段を取ったのか、まだよくわかりません。保留!
いちじくの木を呪う
朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。道端にいちじくの木があるのを見て、近寄られたが、葉のほかには何もなかった。そこで、「今から後いつまでも、お前には実がならないように」と言われると、いちじくの木はたちまち枯れてしまった。
え...。八つ当たり...??
これもよくわかりません。断食を推奨してるイエスが、自分の空腹時に役に立たなかったいちじくの木を呪って枯れさせています。なんでそんなことするん、と思ってしまいます。よくわかりません。このいちじくの木は「葉はある」ということはポイントのように思います。また以前紹介した部分にあるように「実によって木を知る」であり「実」を重視しています。どれだけ葉が生い茂ってようが、主を満足させるような実を結べない木はいかんぞ、ということなのでしょうか。
神殿での教えと問答
その後、イエスは神殿で説教をしているところにやってきた祭司長やファリサイ派の人たちとバトルをして、ごりごりに論破します。そして敵が増えていきますが、群衆がイエスを預言者として敬っているため、群衆を恐れて手出しできません。
その教えの中で特に印象に残ったものを紹介します。
「婚宴」のたとえ
天の国について、たとえを用いて説明します。長いのでさっくり要約すると、例えの内容は次のようになります。
ある王が王子のために婚姻の宴を開くのに、一部の人を招待するも、誰も来ず、再度丁寧に招待しても無視するどころか王の使いを攻撃したので、軍を送って滅ぼした。次に、招待する人を間違えたのだと、町の人々全員を招待し、婚宴を開いた。そこに、婚礼の礼服を来ていないものがいた。「どうして礼服をきないでここに入ってきたのか」と聞いても黙っているので、外に放り出した。
そして、こう締めくくられます。
招かれるものは多いが、選ばれるものは少ない。 (22:14)
最初に招待された人々というのが非イエス派の人たちということなんでしょうか。招待しといて放り出すというのは理不尽にも思えますが、そういうもんなんですね。みんな礼服を着ていきましょう。
皇帝への税金
それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに使わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください。 (22:15-17)
めちゃくちゃ嫌な奴らですね...。
皇帝に税金を納めるのは、律法に敵っているでしょうか。敵っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。(22:17-18)
ガツンと言ったれ!!
「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金を納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持ってくると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か。」と言われた。彼らは、「皇帝のものです。」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。(22:18-22)
くぅ~~!しびれるぜ! イエス、最強の一休さんか?? UMB10連覇できそうです。
最も重要な掟
みんな必死ですね。
そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分と同じように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(22:35-40)
へぇ~。という感じ。やはりこのシンプルさがいいですね。オードリー若林がラジオで「先生」とか「兄貴」なんてのは相手をいじるときにしか出てこない呼び名だと言っていました。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」、いじってますね。
反論できないならおれの勝ちだが?
いろんな人が順にやってきてイエスにバトルを仕掛けるのですが、最終的にこうなります。
これにはだれ一人、一言も言い返すことができず、その日からは、もはやあえて質問する者はいなかった。(22:46)
あなたたち偽善者は不幸だ
マタイによる福音書、23章の「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」の節はdisリリックとして激アツでした。長いので一部を引用します。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
人々の前で天の国を閉ざすからだ。
自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。(23:13)
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
改宗者を一人つくろうとして、海と陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪い地獄の子にしてしまうからだ。(23:15)
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。
そうすれば、外側もきれいになる。(23:26)
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。
白く塗った墓に似ているからだ。
外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。(23:27)
まじdopeじゃないですか? このように「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。」というパンチラインを繰り返しながら、いろいろ的確にdisっていきます。ここはわりと長くて、イエスは一気にまくし立てています。キリスト、リリシストですね。音源出してほしいです。
さて、次回からはいよいよキリストの死と復活に向けての準備が本格化してきます。