イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

聖書通読企画 その8 - マタイによる福音書 27-28章

 どうも、たけです。ようやくマタイによる福音書のラストです。

  

 

裏切った弟子たち

ユダやペトロなど、イエスを裏切った人たちが激しく後悔する描写とともに、イエスが磔に向けて引き渡されていきます。ユダは首をつって自殺しますが、この辺りも預言者エレミヤによって言われていたことだそうです。その辺りはまだピンと来ない。

 

ピラトから尋問される

さて、イエスは総督の前に立たされた。総督がイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った(27:11-14)

 こんな感じでイエスは基本的にだんまりです。知っている人から見ればイエスは磔を欲しがってるのでそりゃそうだ、という感じではありますが、今までごりごりに論破しまくってたイエスが急に何も言わなくなったのはたいそう不思議に見えるでしょうね。

 

死刑の判決を受ける

しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗っていった。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。(27:15-26)

 これはかなり重要なところに思えます。イエスを最終的に死刑にしたのは群衆であるということ。この意味は大きいでしょう。群衆が激しく「十字架につけろ」と叫んでいる様は昨今のいろんな炎上案件を彷彿とさせます。敵対する宗派の一部の人がイエスを磔にしたのではなく、イエスを磔にしたのは愚かな群衆、つまり我々であるということを肝に銘じなければなりません。

 

十字架につけられる

 イエスはいろんな人に侮辱されながらゴルゴダへ連れて行かれ、十字架につけられます。それはもうひどい扱いを受けます。これ敬虔な人なら涙なしには読めませんね。

彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。(27:35-37) 

 こういうユーモアの嫌味、ずっとあったんですね。

そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。 今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」

 ここは以前書いた「悪魔の誘惑」の部分について、「カラマーゾフの兄弟」を引用した部分に出てきたところです。 

shogakuyonensei.hatenadiary.com

 イエスは奇跡による不自由な信仰を望んでいません。「 今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。」というのには応えないのです。

 

エスの死

さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」という者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、藁の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。(27:45-50)

 エリヤがわからないのでピンとこないのかもしれませんが、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というのはかなり不可解です。イエスがこのような言葉を叫ぶだなんて、ショッキングです。神はイエスを見捨てたの...? よくわかりません。よくわからなくて調べたのですが、下記ページの説明がわかりやすかったです。

http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_110417.html

 

 ざっくりいうと、まず「昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。」というのは、旧約聖書で予言されている「裁きの日」のしるしです。つまり、その日は実際に訪れました。そして、その終わりにイエスは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫んでいます。イエスは裁かれたのです。それは、人々の代わりにです。上記サイトの解説を引用すると、

イエス・キリストは、私たちの代わりに神の罰を受けられたのです。父なる神は、私たちを罰する代わりに御子イエスさまを罰せられたのです。私たちが見捨てられる代わりに、イエスさまが見捨てられたのです。すなわち、本当は私たちが十字架につけられて罰を受け、十字架上のイエスさまの絶叫は、本当は私たちが神の裁きを受けて絶叫するはずのものだったのです。本当は私たちが神から見捨てられるはずだったのです。しかしその私たちに代わって下さったのです。イエスさまが。

http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_110417.html

とのこと。これは、ちょっと、やばいですね。そういえば以前簡単な解説書を読んだときにもこの部分には感動したのですが、いまいち理解が薄かったです。今こうしてしっかりめに読んだ中でこの部分に出会うと、かなり感動的なものがありますね。

 そして、イエスの死に伴って、神が行動を起こします。

そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。(27:51-54)

  上記サイトの解説によると、この神殿の垂れ幕は神との謁見の場を仕切る幕であり、これが裂けたことはだれでも神と会えるようになったということを意味するそうです。聖書、隠喩がえぐい。旧約聖書の時代が終わったのです。

 本当はこの裁きによって世界が終わるはずだったのに、その裁きをイエスが一身に引き受けた。そしてそれと引き換えに人々の罪が赦された。すごい...。

 

復活する

 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石を脇へ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガラリやに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたには伝えました。」婦人たちは恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。言って、わたしたちの兄弟たちにガラリヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」(28:1-10)

 すごい...本当に復活した...。人々に代わって裁きを受けたイエスが、それでもその裁きの死から復活することでその無罪性が示されています。強すぎる。

 

希望

さて、十一人の弟子たちはガラリヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは言って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子の聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:16-20)

 こうしてマタイによる福音書は終わっています。「おれたちの戦いはこれからだ」てきな締めくくりですね。イエスが侮辱され磔にされたところの暗さとは大違いの、非常に希望的な終わり方です。すごい。

 

 

 

 ようやく「マタイによる福音書」が終わりました。二週間で読むはずのところだったんですが、ブログに書くのにかなり時間がかかったので、予定よりも遅れてしまいました。最初で全部新鮮なので取り上げるところも多いため、より丁寧に読む分には時間がかかっても良しとしましょう。キリスト、すごいですね。聖書おもしろいです。