イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

最善と受容

ざわです.

 

最近,予期しない場面で自分のブログを強制的に振り返ることになった.過去に自分がそんなことを考えていたのかと驚くとともに,過去の自分が直面していた不安が解消されていることに気が付いた.そのことについて書き記そうと思う.内容は自己と母の受容と,博士課程の不安の解消である.

 

私は小学生ぐらいのころから自己否定と共に成長してきた.自分が無価値であると思い込みながら生きてきた.この自己否定は親によって刷り込まれたものである.私は幼少期,身体の機能の一つが発育不良だった.自分にはどうしようもなく,その発育不良によって毎日失敗していた.そのたびに両親,特にヒステリックな母親から怒られていた.「なんで○○はこれが出来ないの!」と良く叱責された.友達は発育が正常で私と同じ失敗を犯していないことを知っていたので,自分だけがひどく劣った存在に感じられた.私以外の家族が私がいないところで,「なぜ○○(私の名前)はあんなにダメな子なんだろうか?このままで大丈夫だろうか?」と家族会議をしている場面に出くわしてしまったこともある.自分を「失敗作」だと自嘲していた.自分を無価値に感じた.自分を無価値に感じているので,他人も私のことを無価値だと思っていると勝手に思い込んでいた.他人の目をひどく気にしてしまうので外出が好きじゃなかった.自分のことを無価値だと思っている人間は基本的に挑戦に対しておっくうになる.特に客観的な指標のないこと,美術などの自己表現に対しておっくうになる.なので美術の授業の創作では,幾何学模様を敷き詰めることで自分の内面を問えないような作品ばかり作っていた.理系科目は正解が用意されてたので好きだった.自分を問わなくて済む.ここまでが小学生までの話.友達がそれなりにいて楽しかったけどまあまあ苦しかった.

中学になって身体が成長して毎日犯していた失敗を犯さなくなったことと,勉強の成績が重要になってきたことで自己否定が緩和され始めた.私は勉強はよくできた.(勉強ができなかったら自分は自己否定から脱却できたのか疑問に思うことがある.)中高でいい友達を持ったことで,他人が私を悪く思っているという思い込みも緩和されてきた.いろいろな面で自己否定の束縛から解放された一方で母親に対する怒りが芽生えてきた.「なぜ私はそこまで劣った人間ではないのに,ここまで徹底的に自己を否定しながら生きてきたのか.母だ.母のせいだ.私にはどうしようもない発育不良が引き起こす失敗を,こっぴどく叱ったからだ.ここまで強い自己否定に苛まれていなかったら,もっと色々なことに挑戦できただろうし,人生も楽しかっただろうに!俺は俺の人生を失った.」というふうに母に対して怒りを抱えていた.高校生ぐらいから大学院生まで私の母がもっと良い母なら自分の人生はもっとよかっただろうなと,母の未熟さによって失われた自分の人生を嘆いていた.もはや私は最善の人生でないし,最善でない人生に価値を感じれなかった.最善でない自己も母も受け入れられなかった.満月だけしか愛でることが出来なかった.

最善の人生を送りたい自分にとって博士課程への進学は恐怖だった.博士課程に関するネガティブな物語がたくさんある.博士進学によって未来が閉ざられた人がたくさんいるらしい.自分のそのうちの一人になるのが怖かった.ここで就職を選べば比較的幸せが保証されている気がした.でも勉強,というより学問は相変わらず好きだったから進学するしかなかった.まだ学問がやりたいと思っているのに就職するのは単なる撤退だし,まだ撤退は始めたくなかった.それに最近では,博士を取った後に本当にアカデミックに残るのか民間企業に就職するのを選ぶこともできると聞いた.覚悟半分,保留半分の博士進学だった.

年月が進み,保留していた問題についてまた悩むことになった.博士課程修了後,不安定なアカデミックかへ就職するか,安定(とされている)民間企業へ就職するか.気持ち的にはアカデミックに残っていたい.でも不安定なアカデミックの世界で失敗せずに成功できるだろうかと悩み続ける.不確定な未来について悩んでも答えなど出るはずもないのに....悩む中で自分が本当に恐れていたのは失敗ではなく,失敗を受け入れられない自分であることに気が付いた.時間軸に対して垂直な方向に広がる並行世界で,就職し幸せな生活を送る最善の自分を夢想し,アカデミックへの就職を後悔し続けてしまうのではないかと怖かった.自分にありえた幸福をふんだんに詰め込んだ美しいifの世界のスノードームに耽溺し続け,現実の生活と可能性がどんどん退廃していく人生を送ってしまいそうで怖かった.やはり,あり得る最善を求めてしまっていた.

 

自己否定,母への怒り,博士課程での恐怖.どれも問題の根は同じで最善へ至れないものを受容できないことだった.最善と自分への乖離について悩み続けることでじわじわとその乖離について受け入れれるようになった.特に出来事があったわけでもない.

私の発育不良に対して母も不安であっただろう.悪意から生まれた行為ではなかった.母もただの人なので最善を求めるのは酷である.確かにありえた最善の自分と現在の自分は乖離しているけど,最善との乖離こそが自己や個性を定義するものである.満月の形は常に一つだけど,かけた月は多様であり,それぞれに味がある.未来の選択については,自分がその選択によって得られそうな幸福の計算をある程度できるだけで,選択後はもう後悔してはならない.今の自分のできることは,今これからの人生の幸福を最大化することだけ.ifの世界はどうしようもなく美しいけど,未来への幸福の可能性を優しく手折ってしまう.今日の失敗が必ず明日の失敗を約束するわけではない.と思えるようになってきた.

 

私にも,母にも,たとえ将来アカデミックを選び失敗してしまったとしても, 私の人生にも,それなりに味があるはずなんだ.きっと.