イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

昨日死んだワニについて

 どうも、たけです。

 

 

 昨日ワニが死にましたね。企画のバズりっぷりがすさまじいです。すさまじすぎるので、多少の葛藤ののちに、触れることにします。

 

おもしろポイント

日常の印象の上書き

 この企画は「近いうちに死ぬことを最初から言っておくことで何気ない日常に深みを持たせる」というのがまずポイントでした。ただの日常のワンシーンが、死を意識することで別の意味を帯びるというおもしろさ。

 こういった要素は、例えば僕の好きな浅野いにおの漫画『デットデットデーモンズデデデデデストラクション』にもあります。この作品では女子高生のゆるふわな日常を描きつつ、そこは対宇宙人との戦争下で「人類終了まであと半年」とか巻末に出てきます。『デデデデ』は最高。

 あるいは物語の二周目の視聴において、伏線を伏線と知って見るときも同じような気持ちになりますね。なのでこれだけではオリジナリティが弱い。

リアルタイム性

 ワニの際立った特徴は、それを現実の一日に劇中の一日のペースで進行したことだと思います。普通の漫画とは異なり、現実世界と同じタイムスケールでストーリーが進んでいく。これが「どう死ぬか」という点ではなく「日常」という線をハイライトした作品においてとてもいいやり方だったように思います(なのでリアルタイム性を終えた今は...)。

 

どうなのよ

死生観

 気になるのは作者の死生観がよくわからないこの感じ。「結局どういうつもりで何をしてたん??」という気持ちになっています。コンセプトはどうなってるねん、という、完成度が低い感。

 ワニの日常の尊さみたいなものを描いておきながら、ものすごく美しい感じに死を描いておきながら、余韻ゼロでワニの死にはしゃぎまわってるこの感じ。ピークのうちに告知を打っておかなきゃいけない気持ちもわかりますが、作品としての完成度がガタ落ちしたように思います。追悼POP UP SHOPには失笑が漏れました(書体に加え、追悼は公式がやるものなのか??というのも)。

 たとえば、この作品のコンセプトというのは「AI美空ひばり」なんかにどういうスタンスをとっているのか?生死を武器にしているけれど、その辺りの価値観ちゃんと固めてんのか?という疑問が浮かびます。ワニの人格を丁寧に作りこんできたと思っていたら、死ぬや否や一瞬でアイコン化しているこの感じ。今までリアルタイム性を武器にしてきたのにこの速度はなんやねん。

 あるいは「言われた通りドキュメントのていで見てたんだから、カーテンコールなんてやらないでほしい」というような。

薄れていく希少価値

 この作品は100日というカウントダウンが醍醐味で、その「限りある時間」によって際立っていたものが、後からいろいろ出した分だけ薄れていってしまうということ。いろいろ出せば出すほど作品のコンセプトが崩れていく。そういうシステムで評価されといて、それを自ら壊していってる感じ。

 

終わりに

 そもそもグッズ販売なんてのは「でもワニくんの命は輝いてたよね!ワニくんありがとう!」「ワニくん生き返って~」みたいな層がターゲットだとすると、僕は完全に眼外(眼中の外)から不満を述べているだけなわけですが。

 みんなでワニが死ぬのを心待ちにしている感じとかはおもしろかったです。ここまで大きなバズ、なかなかない。クリエイターがお金を稼ぐことに対して全く文句はないですし、これだけのコンテンツを提供したんだからうまく売れてほしいです。作品の完成度を大事にしながらな!