イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

渦 その8

 どうも、たけです。今回はコロナ禍の世界において現金一律給付をした場合にどのような変化が起きるかについての考察です。

 

 

1 はじめに

1.1 考察遊び

 経済学の知識が乏しい状態で連日こういうトピックについて語っているのが恐れ多くなってきた。友人によるとやや緊縮よりだったり財務省よりの思想が見られるらしい。と言いつつ、今回のブログでも懲りずにその辺りを語る。逆に知識がない分、今はネタバレなしで自発的な考察を楽しめる。それに、ある前提を認めてしまえば、それ以降の論理展開に知識の有無は関係ない(前提が不適な可能性はある)。また、今度彼らとの読書会で経済学系の本を読むことになりそうなので、今の自分の考え方がどういう立場に該当するのかを後で答え合わせをするというのも一興である。

1.2 なんとなくの立場

 まず、僕はなんとなく「今きつい人にさっさと給付金をあげてほしい」と思っている。素朴に、たまたまコロナによるダメージが大きい境遇にいた人に同情する気持ちがある。また、生活保護頼りではダメな理由として、そういう人たちがこの苦境を耐えて事業を継続できた方が後の社会が豊かそうだからというのがある。

 困っている人にだけ給付されればいいと思っているが、線引きもむずかしいし、速度も大事なので、全員給付しかないのではとも思っている*1。とりあえず配っておいて後で余裕のある人から回収するというひろゆき案もよさげである。

1.3 違和感

 そんな感じで、なんとなく給付金は出してほしい。だからといって、その配るお金がどこにあるのか知らない。国はお金を無限に発行できるといっても、雑にそんなことをしたら教科書で見たことのある悪いインフレになるんじゃないかと心配になる。その辺の経済知識がないので、とりあえずややこしいんだろうなぁと思ってその4では以下のようにを書いた。

弱者救済的なことを考えるときに、「再分配」と「新分配(言葉は適当)」みたいなものをちゃんと分けて考えないといけないように思う。余裕のある人からお金を取って余裕がない人に渡す再分配をすべきという主張なのか、お金を新しく刷って配るべきという主張なのか。経済のことはよくわからないが、僕の感覚では再分配はやってほしいが新分配はよくわからん。世の中に価値が生み出されていないのにお金だけ発生するのはシンプルに違和感がある。 

 ここでは適当に「再分配」と「新分配」という言葉を使っている。この後も使う。僕はこのうち「新分配」に対して違和感を抱いている。今回はこの「違和感」について掘り下げる。なぜここに違和感を抱いたかというと、コロナ禍の世界では価値創出活動が停止させられるからである。この違和感を説明できるようになってきた上に、新たな発見があったので、説明する。

2. 現金給付の思考実験

 現金一律給付を行った場合に何が起こるのか、思考実験してみる。何度でも断っておくが、これからの話というのは、経済学的に通用する前提やモデルなのか知らない人間によるお遊びである。

2.1 財の総量と貨幣の総量に関する仮定

 まず、世の中に流通する「貨幣と交換しうる財」(以下「財」)の総量を考える。この財というのは物質的なものでもサービスでも、貨幣との交換価値があればなんでもいい。そして、世の中に流通する「貨幣」の総量というのも考える。そしてこれらの間に次の「仮定*」を置いてみる。

仮定*:財の総価値貨幣の総価値は釣り合う

 例えば、流通する財の総量がコーラ100瓶、貨幣の総量が10,000円であるとする。ここに仮定*を適用すると、コーラ1瓶の価値は100円に相当することになる。もしコーラの数はそのままで貨幣の総量が20,000円になればコーラ1瓶は200円相当となる。

2.2 初期状態

 次に、ここに人間10人貧富の差を導入し、AさんとBさんに注目して次のような状態を設定する。

【状態A】
財の総量:コーラ100瓶
貨幣の総量:10,000円
⇒ コーラ1瓶の価格:100円

Aさんの所有価値:2000円 = コーラ20瓶
Bさんの所有価値:500円 = コーラ5瓶

 この【状態A】が今回の思考実験の初期状態である。仮定*により、コーラ1瓶の価格が100円になっている。

2.3 給付による変化

 ここからは、「新分配」のために新しく貨幣を発行し、一人あたり100円の一律現金給付を行った場合の経済状況の変化を「平常世界」と「コロナ世界」についてそれぞれ考えてみる。

2.3.1 平常世界モデルの場合

 給付金によって人々のコーラを買う余裕が増えて需要が高まり、それに伴ってコーラの供給量も増える。ここでは「貨幣の総量の増加率」と同じ割合でコーラの総量が増加すると仮定すると、【状態A】は次の【状態B】に変化する。

【状態B】
財の総量:コーラ110瓶
貨幣の総量:11,000円
⇒ コーラ1瓶の価格:100円

Aさんの所有価値:2100円 = コーラ21瓶
Bさんの所有価値:600円 = コーラ6瓶

 貨幣自体は交換しない限り役に立たず、生活の豊かさに影響するのは入手可能なコーラの量なので、コーラ換算でだけ個人の所有価値を考える。AさんもBさんもコーラ換算で所有価値が増えており、みんなの生活が豊かになった。

2.3.2 コロナ世界モデルの場合

 コロナ世界では、新規の価値創出が停滞すると仮定する。その仮定をこのモデルには「コーラの供給量を増やせない」として反映させる(なんなら減らしてもよいが)。なので人々が所有する貨幣が増えて余裕が生まれても、コーラの供給量は変わらない。すると、次の【状態C】となる。

【状態C】
財の総量:コーラ100瓶
貨幣の総量:11,000円
⇒ コーラ1瓶の価格:110円

Aさんの所有価値:2100円 = コーラ19.09瓶
Bさんの所有価値:600円 = コーラ5.45瓶

 コーラ換算の所有価値を見ると、【状態A】と比べてBさんは豊かになったが、Aさんは貧しくなった。全員に給付をしたにも関わらず、である。これが「世の中に価値が生み出されていないのにお金だけ発生するのはシンプルに違和感がある」の正体だったのだ。貨幣を発行して投資したところで財が増えないため、財に対して円の価値が薄まった結果、より多く円を持っていた人が給付分を超えて損をしたということである。

 ということは、つまり、「新分配」と思っていた貨幣発行によって再分配的な効果が表れている。コロナ世界では「新分配」は「再分配」でもあるのだ。こんなおもしろい結果になるとは*2

 ちなみに、給付金の量を増やすほど再分配の度合いが大きくなる。例えば、給付金を一人あたり200円に増額すると【状態D】のようになり、【状態C】より強く再分配されている。

【状態D】

財の総量:コーラ100瓶
貨幣の総量:12,000円
⇒ コーラ1瓶の価格:120円

Aさんの所有価値:2200円 = コーラ18.33瓶
Bさんの所有価値:700円 = コーラ5.83瓶

3. 考察

 平常世界では給付金によって世界が豊かになった。一方、コロナ世界では給付金によって全員が豊かにはならないが、「再分配」が行われた。その4で書いていたように僕が「再分配」を推していたのは、コロナ世界では新しい価値が増えにくいので、今ある価値をみんなでうまく分けるしかないと思っていたからである。しかし、そのような世界では「新分配」によっても「再分配」の効果が達成されることがわかった。今の世が平常世界モデルとコロナ世界モデルの間の状態だと思えば、僕の立場ではどっちにしろ「新分配」をしとけばいい、ということになる。反緊縮に翻ることとなった。

 このモデルは鎖国した箱庭の話をしていて、外国の存在を考えていない。なにより、そもそも仮定*がアリなのか知らないので、いろいろ雑であることは重々承知である。

4. 感想

 なかなか手ごたえのある結果になっておもしろかった。コロナの影響の特殊性というのは経済活動が抑制され、新規の価値が創出されにくく、お金の使い先がなくなることである。このような特殊な状況において、どのようなモデルが成立し、どのような理屈でどのような政策が良しとされるのか、気になっている。

 給付金を出しまくってる国もあれば出さない国もあり、ベーシックインカムを導入しようという国もある。各国の様々な動きが今後どのような結果になっていくのか、楽しみである。経済の知識があった方が楽しめそうなので、そこへの興味が増してきた。

 

shogakuyonensei.hatenadiary.com

*1:本当のところでは、こういう結果を気にした帰結主義的な戦略ではなく、単純に公共の利益のために行動を制限することに対する賠償という形で自動的に給付金が発生すべきだと思っている。しかし、今回の記事ではそれは置いといて、帰結主義に乗った上で議論を進める。

*2:AさんとBさんの「格差」に注目すると、平常世界においてもいちおう是正が見られる。【状態A】と比べて【状態B】では所有価値の差額は変わっていないが、比率で見ると格差が縮まっている(4倍→3.5倍)。だたし、これが「再分配的」かというと、Aさんの所有価値が減っているわけではないのでそうではない気がする。