イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

「この世界は要するに穴の集まりなんだ.」

リンゴはリンゴの形をした穴に過ぎないし,僕は僕の形をした穴に過ぎない.僕がリンゴを食べているときは,リンゴという穴を僕という穴が取り入れる.穴はそのままでは穴の形を保てないので,僕はリンゴという穴を取り入れることで僕を維持する.賢い人は「この世のあらゆる物質はおおよそ120種類ぐらいの穴が色々な組み合わせで出来ている」ことぐらい知っているだろう.(もっと詳しい人はその穴がさらに原子核と呼ばれる穴と電子と呼ばれる穴で出来ていることも知っているだろう.(もっともっと賢い人は原子核がさらに小さい穴である陽子と中性子から成っていることも知っているだろう.(もっともっともっと詳しい人は陽子も中性子も電子もさらに小さい穴であるクオークからなっていることも知っているだろう.(...))))

地球上の大気は大体,窒素分子(窒素穴が二個合体したもの)と酸素分子(酸素穴が二個合体したもの)で出来ている.僕は生きるためにこの酸素分子も取り込んでいる.地球から遠く離れた理想的な宇宙は,穴が存在しない完全稠密な状態になっている.この完全稠密な状態は海と呼ばれる.あらゆるものはこの完全稠密な海を破壊することで存在している.あらゆる存在は存在した時点で不完全なんだ.

「この世は要するに穴の集まり」というのはそういうことだ.そして,この世の全ての現象はその穴達の相互作用に過ぎない.意思,恋,勇気とかそういうものも穴が相互作用しただけ.穴の相互作用だけでこれだけのことが説明されることに感動を覚えると同時に,人間の営みがただの穴の相互作用に過ぎないことに悲しみを感じる.「穴同士だから完全を求めて,人は惹かれあうのかもな.」とちょっと生意気で恥ずかしいことを思ったりもする.でもこれも,僕は穴の集まりに過ぎないから仕方ない.

自分が穴に過ぎないと知ることで,自分の欠点を許すことが出来る気がする.なにせ存在した時点で欠落なんだから.でも,どこか,悲しいような気もする.穴はやっぱり欠落のイメージだから.

この世界でないどこかで,存在が穴でない世界が存在するのだろうか?欠落が存在でない場所が.その場所では粒みたいなものが無の空間に存在するのかな?多分その世界では,宇宙は「海」じゃなくて「無」なんだ.その世界では存在が欠落と直結しないから,僕が抱くような悲しみを抱かずに済みそうだな.でもそうなると,もし自分に欠点があると許せなくなりそうだな.存在が欠落と直結しない分,欠点は必然的にあるものではないから.

結局どこに基準を置くかだけの話なのかもしれないな.そんなに僕の世界と変わらない世界なのかもな.