イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

Tはキョウトで考え中

 どうも、たけです。

 転校を検討するにあたり、いろいろ考えていたところ、長年モヤモヤしていたところがだいぶスッキリと整理されました。備忘録として。

 

 10歳という、そして転校という節目に、改めて近藤聡乃『A子さんの恋人』を読みかえすと、自分のモヤモヤを整理するのにふさわしい例えに溢れていた。いくらか「クリエイターになりたい」と思っている人間にとって、この漫画で描かれるステレオタイプは自己分析にうってつけである。

 

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近藤聡乃『A子さんの恋人』第6巻より

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長々と悪い引用をしました。

僕は敏感だし意識している。意識せずにひょうひょうとやりたいことをやっていった先に何者かになれるほどの器ではなかった。

 

『A子さんの恋人』は美大出身、モラトリアム延長中、30歳を迎えようとしている彼彼女らの物語である。

  • A子は才能もあれば嗜好もそこに向いており、独立して、淡々と創作に打ち込み続けることで成立している
  • K子は才能はあるものの、その作家性は独立するタイプのものではなく、組織に属してデザイナーとなり、プロとして仕事をこなす中で美大でしっかり培ったクリエイティビティを発揮している
  • U子は創作の世界からは降り、美術予備校の講師として美術には間接的に関わりながらも、クリエイターたちが泳いでいく様を見て楽しめればいいと割り切っている
  • A太郎は才能はあるものの興味がなく、美術から離れ、「人当たりがいい」という才能を元手に適当に暮らしている

かつて僕は、自分はA子タイプなのだと思っていた。

 

 僕は、自分には「クリエイターになる素質がある」と思って生きてきた。そして、ある時期までは「当然自分はその流れのまま独立したクリエイターになる」と思っていた。ところがその実感はじわじわと薄れ、「自分はクリエイターには向いていない、エンジニア向きだな」という感覚が強くなっていった。

 なぜそう思ったかというと、自分には「社会をどうこうしたい」「こういうメッセージを表現したい」というような、社会性のあるモチベーションやテーマ、ビジョンがなかったからである。創作の根源となるテーマを持っていなかったのだ。僕のモチベーションはただただ自己顕示欲があるだけ、向いてたからそれをやってるだけ、という認識が強くなり、そこに価値を見出せなかった。自分は結局は誰かのビジョンや指示を受けて技術を提供するタイプの人間なのだということを受け入れようとすることに時間と精神力をかなり費やしてきた。呼称に大した意味などないかもしれないが、自分は「クリエイター」ではなく「エンジニア」なのだと言い聞かせようとしてきた。

 

 そういう考えに基づいて、クリエイティブな世界から降りて(U子のように)穏やかで代わりの効く歯車の一つになった方が楽しく暮らせるんじゃないかと考え、落ち着いた大学校への転校を考えたりもした。ところが、やはりその考えは自分を殺していくだけであり、死に向かっていくものであった。どうやらそれは自分のアイデンティティに深く関わるものらしい。かといって、自分を創作者としての考えたときに、その「アイデンティティ」「オリジナリティ」「作家性」といったものはどこにあるのか見つからない。そこに悩みつつ、ひとまず生き延びるためのムーブとして、とりあえずやはり美大生たちが並んだビーチで例えで考えてみると、現時点で砂浜に居残ろうと決意する必要なんてなく、とりあえず泳ぎだしてみて、ダメだったら帰ってきたらいいじゃないか、というところに向き直り、素直に泳ぐことを再開してみることにした。

 とはいえ、自分にクリエイターとしてのビジョンがないことは今更変わらないし、とってつけられるようなものでもない。この最大の障壁をどのように乗り越えればよいのだろうか?自分の創造性をどこに見出せばいいのか?何を頼りに何を作って生きていけばいい?

 

 転校に関する面談の中で、「僕の創作意欲の根源は『おもしろいものを作っておもしろがってほしい』ということ」「『製品』よりも『作品』を作りたい」「明確に『作品』として提示していなくても、高度に洗練されたプロダクトには作品性が宿っていて、それはもうそういう洗練されたアートであり『作品』だと捉えている」というような話をした。この感覚はある程度わかってもらえた。そして、これらで漠然と表現しようとしていた、自分の創作意欲の肝が、ついにもやもやから解放されたのだ。

 

 自分にとって手ごたえのある創作物というのは明確にある。個人ロボコン時代、ヘビ、フーガで世界大会優勝、そして遡れば学部首席合格、である。これらは「自分に適性がある分野で自分の能力が輝いた例」である。

 ヘビは、国家的な大プロジェクトの中で、ボスがこのプロジェクトが終わるまで(4年後)にヘビで梯子登れたらとんでもないな、と言っていたのを聞いて、2年でそれを実現した。簡単だったが、他の人は思いついてなかった。

 フーガを作ってみたらボスの予想以上に高性能で手ごたえがあり、今年はせっかく日本で開催されるから世界大会にも出てみようということになり、日本のチームとしては10年ぶりの決勝進出、しかし決勝で大敗。そこで世界大会のレベルを知った。それを機に開発の照準を世界大会に合わせ、世界大会で勝てるようにフーガ2を作ったら2年後に世界大会で優勝できた。

 遡ること、受験。部活の方がよっぽど努力したのに何の結果も出ず、一方部活の7割くらいの気概で取り組んだ受験の方が圧倒的に成果が出た。向いていることでは成果が出ることを知った(部活は熱を注ぎすぎたのが仇になったので、『7割くらいの気概』というのは「オーバーヒートしない最大出力」てきな意味で100%だったと言えるかもしれない)。

 個人ロボコン時代。その大会のテンプレートをなぞっていてもつまらないという気持ち。そしてそのルートを追っても社会人が強いから目立てないし楽しくないという気持ち。それによってテンプレートを煽るような別の仕組みで課題を解決する方法を提示し、特別賞をたくさんもらったし、目立つから色んな強い人に気に入ってもらえて有意義な話を聞けた。

 

 自慢が続いたが、要するに、自分が手ごたえを持ってやってきたことのコアは「出されたお題に鮮やかに答える」というだったということである。一時期はその認識を誤って「自分はお題に答える汎用装置なのだからもう大企業の替えの効く歯車の一つになろう」と思った。今では少し認識が違う。「その回答の鮮やかさこそが自分のクリエイティビティだ」という自負が形成されてきて、それは実にしっくりくるものであった。
そういう認識によって僕は基本的にはエンジニアだけど、クリエイターでもあるよねというような、肩書にこだわることに大した意味はないはずだが、なんだか自分のありたいスタンスをようやく明文化できたような気がした。

 

 これに気が付いたことで、本当に気持ちが楽になったというか、軌道に乗った。自信をもって創造的な歯車になるべく動ける。お題をくれれば、Tのイズムが通った120%の回答を返す。それはとてもクリエイティブである。お題を見なくても回答を見れば「くっきーの大喜利やん」ってわかるでしょ。それで勝負するだけの力があるかもしれないと思ってやってみることにする。さもなくば死。