イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』 紹介&感想

 どうも、たけです。紹介するまでもないドストエフスキーの傑作長編小説カラマーゾフの兄弟の紹介&感想です。カラマーゾフ家がごたごたする話です。

 

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はじめに

 「なっげ~~~」と思いながら読み始め、夢中になって読み終わりました。上巻に2週間、中巻に4日、下巻に1日。上巻の終盤から本格的にのめりこんでいきました。当たり前ですがものすごくおもしろかったです。冒頭に「紹介するまでもない」と書きましたが、僕のように「普段あまり読書しないけど、この本読んでたらかっこいいから読んでおきたい」というようなライトな読者向けに紹介できたらと思います。

 次回の記事では、以前読んだ同作者のこれまた傑作『罪と罰』について書くつもりです。どちらから読もうか悩んでる人の参考になれば幸いなので、これらをやんわり比較しながら紹介してきます。

 

 

サスペンスとして - 群像劇み -

 「ドフトエフスキー」「ロシア文学」と聞くと何やら重厚そうなイメージを抱いており、重苦しい話が延々続くのかなと想像していましたが、『罪と罰』にしろ『カラマーゾフの兄弟』にしろ、単純にサスペンスとしてめちゃくちゃおもしろいです。見せるところは見せるが隠すところは隠し、最後までどうなるかわからないハラハラドキドキの展開が続きます。

 また、『罪と罰』に比べて『カラマーゾフの兄弟』はより群像劇みが強かったように思います。単純に三兄弟全員が主要キャラというのもありますが、よりたくさんの登場人物の目線から語られていました。本筋がある横で、ふと新たな人物目線での語りにジャンプし、それが本筋に合流していくという流れは浦沢直樹の漫画を思い出しました。群像劇みがあって丁寧な人物描写と巧みな情報操作を伴うサスペンスの王道の描き方なのかもしれません。ドフトエフスキー、「Monster」とか読んでだんすかね。あらゆる脱線が全ておもしろかったです。

 

とにかくよくしゃべる - それぞれの思想 -

 とにかく登場人物がよくしゃべる!それがもうたまりません。約80ページがほとんど一人の登場人物のセリフで埋まっているような部分もあります(そこは物語全体の中でも大きな見所になっています)。僕はよくしゃべる登場人物が好きです。80ページ分も一人がひたすら話すのを聞けるなんて言うのは、漫画でも映画でもおよそあり得ない、小説だけの特権的な喜びかもしれません(ラジオは別としておきましょう)。全編手記という体裁の本や、異常な長さの手紙なども似たアツさがありますが、やはり会話の中でそれだけ一気にまくしたてる熱量というのがたまらなくおもしろく響いてきます。先に群像劇みが強めといいましたが、まさにそれぞれの登場人物がそれはもうしゃべりまくることで、様々な思想や個性が活き活きと描かれます。各登場人物たちがとにかく魅力的で、それぞれを好きになっている状態で、彼らが熱量高く持論を語ってくれるのですから、それはもう楽しいです。そういった持論の背景にはキリスト教やロシア的な文化があり、それらがそれぞれおもしろい。『罪と罰』では主に主人公の思想に迫る物語だったのに対し、『カラマーゾフ』ではより多面的に描かれていたように思います。

 

読む上で気にした背景

誰の翻訳で読むか

 『カラマーゾフの兄弟』は新潮文庫から出ている原卓也訳のもので読みました。『罪と罰』は光文社古典新訳文庫亀山郁夫訳ので読んだのですが、後から調べると亀山郁夫訳に対して誤訳が多いなどの不評をいくつか見つけました。その批判内容ももっともらしかったので、『カラマーゾフの兄弟』を読むときは他の訳者にしたというわけです。亀山版『罪と罰』は読んでいる最中は特に不満は感じませんでしたが、あえて不評なもので読むこともないか、と。

名前ややこしい問題

 ロシアの人はわりと名前がややこしい。同一人物が違う名前で呼ばれまくります。呼び名によって距離感が違ったりするようです。ハリーポッターシリーズの中でたまにロンが「ロナルド」と呼ばれて「誰?」となりましたが、それのもっと激しいやつです。同じ名前の違う人が大量に登場した『百年の孤独』とは真逆のややこしさですね(『カラマーゾフの兄弟』にもこうやっていろんな作品を引っ張り出して自分を教養があるように見せようとする人物が登場していました)。ようやく言いたいことをいいますが、新潮文庫原卓也訳ではそうしたいろんな呼び方に関して訳注として「誰々のこと」「これは馴れ馴れしい呼び方」など補足されており、細かなニュアンスがわかるような配慮がありました。

ロシアのお金事情

 ロシアの通貨として「ルーブル」や「カペイカ」という単位が出てくるのですが、これの価値がピンとこないと物語の深く理解できません。この件に詳しく言及しているサイトがあります。

帝政ロシアの通貨事情/ドストエフスキーの世界

 上記サイトから、亀山氏の話を孫引きすると、

一八六〇年代のロシアの大学教員の年収が三千ルーブル

だそうです。上記サイトには「小説を読むうえでなら簡単のために1ルーブル=1000円と思って差支えない」てきなことが書かれています。すると、例えば3000ルーブルというのが出てきたときにはそれは300万円の大金ということです。あと100カペイカで1ルーブルです。

 さて、この3000ルーブル≒300万円もの大金が現金で置かれているとき、僕は一万円札100枚を束ねた札束が3束並んでいるところを想像し、そういうボリュームだと思います。でも作中に出てくるだけでもロシアには100ルーブル札なるものがあるようです。すると300万円相当の大金は100ルーブル札30枚で済みます。このヴィジュアルイメージは物語の情景を思い浮かべるためにわりと重要だな、と思います。

 

おわりに

 言及すべき点は膨大にあるのですが、膨大であるがゆえにここで軽く紹介するには何とも書きにくい本です。濃密で全部盛りでした。一つの村の話でありながら、そこには見事にロシア、あるいは世界の全部が詰まっています。

 カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』に

人生について知るべきことは、すべてフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にある、と彼はいうのだった。

そしてこうつけ加えた。

「だけどもう、それだけじゃ足りないんだ!」

という部分がありますが、ほんとに一通り書いてあったんじゃないですかね。それだけじゃ足りないそうですが。

 濃密で長い、これだけの情報量を一気に読んだので、そう簡単には飲み込みきれませんね。何度か丁寧に読まなきゃ吸収しきれなさそうです。

 

 以上、簡単ですがドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の紹介&感想でした。当然の☆5.0

次回、『罪と罰』に続く。