イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

漫才でコントをされると冷める

 どうも、たけです。Twitterなんかを見てると「マヂカルラブリーのネタは漫才じゃない!」という主張は目にしないものの「マヂカルラブリーのネタは漫才に決まってるだろ!」という反論だけは目にします(お笑い好きが多いタイムラインということです)。僕もマヂカルラブリーのネタが漫才であることに何の疑いもないのですが、M-1決勝の漫才を見ていて時々強烈に冷めるパターンがあります。僕はそのパターンを「漫才のルールを破っている」「美学が崩れている」くらい強めに嫌っているので、その愚痴を書きます。特に和牛はこのルールをめちゃくちゃ破っています。

 

 僕が漫才の「ルール」みたいに思っていることは「即興性の確保」です。その漫才がその場で即興で行われたとみなせるかどうかが重要だと思っていますし、それが確保されていないと「じゃあコントやん」という気持ちになります。コントの大会において「漫才師」というコントをすれば漫才をすることは可能ですが、漫才の大会においてコントをやったらそれは漫才じゃなくてコントです。漫才の方が定義が狭いんですよね。「予定調和が度を過ぎる」とも言えます。

 例えばコント漫才と呼ばれるパターンがあります。Wikiから引用すると以下の説明になります。

わかりやすいものは、「わたし、◯◯の役やるからあなた、××の役やってくれ」などとネタを振り、2人で(まれにボケのみで)何かしらの役を演じるコントが進行してゆく。衣装や小道具を必要とせず、場面設定や状況もしゃべりだけで表現する。 

これを「わたし、◯◯の役やるからあなた、××の役やってくれ」などと振らずに、板付きと同時に両方が役に入っていたらそれはもうコントですよね。あくまで振りがあって、それに応じてコントをやるからそこにはバーチャル即興性が確保されていて、漫才として楽しめます。

 コント漫才においても、ボケが提示した世界にツッコミが対応してツッコむ限りはこのバーチャル即興性が確保されているのですが、ツッコミ側が世界を作り出したりその世界のことを事前に知っていた場合はこのバーチャル即興性が崩れ、僕は「コントやん」「嘘やん」という気持ちになって冷めます。

 

 具体例を挙げて説明していきます。

見取り図 M-1グランプリ2020一本目「敏腕マネージャー」

見取り図【決勝ネタ】1st Round〈ネタ順4〉M-1グランプリ2020 - YouTube

 これはコント漫才で、ボケのリリーが「敏腕マネージャーをやる」と宣言したあとに無茶苦茶なマネージャーを演じて、それに翻弄されつつ盛山がツッコむ。この途中で盛山が無茶ぶりをされて「タコ焼きの食レポ」「ポスター撮影」をする場面がありますが、これはギリ、即興で乗っかったと思えば許せます。ただ終盤、リリーが鶴瓶の楽屋に失礼なノックをして、出てきたエア鶴瓶に盛山が謝る場面があります。このときエア鶴瓶と盛山が会話するのですが、リリーが作ったエア鶴瓶と盛山が会話するところでめっちゃ冷めました。盛山にはエア鶴瓶は見えていないはずなのに、三ターンくらい会話して、ツッコミの方から朝礼の伏線回収「無意識でやってしまいました」をされると、それはもう予定調和が度を過ぎています。まぁ、和牛に比べれば全然大丈夫な範囲です。

 

和牛 M-1グランプリ2017決勝一本目「ウェディングプランナー」

 この漫才はまず水田の無茶ぶりで川西がコントに引きずり込まれることからコント漫才が始まります。ここにはバーチャル即興性が確保されています。問題は中盤、このネタの醍醐味でもありますが、水田がウェディングプランナー役、川西が新婦役でやっていたところから二人同時に役割を切り替えて水田が新郎役、川西が新婦役になります。これは予定調和が度を過ぎます。無理やりコントに引きずりこまれたはずの川西が、話の展開を事前に知っていることになって、バーチャル即興性が失われてコント化します。

 

和牛 M-1グランプリ2018決勝一本目「ゾンビ」

 この漫才では途中で川西がゾンビになりけるコントが始まりますが、ここで出てくる架空のロープにまあまあ冷めました。漫才において架空のロープの存在をそこまで信じられない。

 

和牛 M-1グランプリ2018決勝一本目「オレオレ詐欺

 これが一番ひどいです。この漫才では水田が親にオレオレ詐欺を仕掛けるという超おもしろ設定なんですが、コントすぎます。川西が水田の母親役を演じ、水田と騙し騙されをするのですが、この騙し騙されって「川西が水田に騙される」のではなく「水田の母親が水田に騙される」なんですよね。なので、これを本気で楽しむには川西のことを完全に「水田の母親」だと思う必要があるのですが、それはもうコントですよね。僕は漫才をそこまでコント視できないので冷めます。特に終盤で水田が「相方が交通事故にあって...」って言うんですが、相方は横にいますよね。相方が事故にあってるわけないじゃないですか。それを受け入れるにはもうどんだけ寛容にメタに見なあかんねんと思うわけです。

 

 特に和牛は「もっかいやりなおそ」みたいなフリがなくコントを進めていくからというのもあると思います。霜降り明星のようなボケと同時にツッコむというのも予定調和度高いんですが、「実況」の枠組みで見ると違和感がないのとタイミングの妙があって冷めないんです。

 

ガクヅケ船引氏が「ネタの崩壊」と称して書いていたのもこれと同じ感覚だと思って「わかる~」となりました。

note.com

 

このブログ曰く、

簡単に言うと、「ネタ合わせ」を感じさせたら「ネタの崩壊」です。

これにつきる。

 

まあ、好みの話です。