イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

アンドロイド観音に物申す

 どうも、たけです。

 先日からややバズっているアンドロイド観音「マインダー」、残念に思います。

 

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 第一印象は「しょーもな」です。第二印象以降も「しょーもな」です。そんなことならPepperでやれば十分じゃないか。いろんなところにテクノロジーを導入して新しいものを生み出そうと試みるチャレンジ精神を否定するつもりはないですが、これはアンドロイドであることがどう活かされているのかよくわかりません。

 何よりもまず、デザインが残念に思います。これはありがたいのでしょうか?「見る人の想像の余地を残すため、胸から上と手以外は機械部分がむき出しになっている。」とのことですが、見る人の想像に頼りすぎでしょう。ロボットだから武骨にしとけばいいってわけじゃないと思います。洗練されたそれであれ。仏像のデザインって、もっと芸術家たちが心血注いで追究した先にあるものという印象がありますが。仏像に専門性がある芸術家とかが手伝ったりしてないんですかね。

 後ろに映像をマッピングしてなんかいい感じの雰囲気を出そうとしてるところも残念です。そんな単純なものじゃないでしょう。本体の出来の悪さを認めているようなものです。いや、プロジェクションマッピングもやりよう次第では効果的になるとは思いますが。

 これだけお金をかけて大掛かりなことをやっておいて、その機能というのが身振り手振りしながら打ち込まれた説法を再生するだけというのは大変物足りません。アンドロイド×観音という組み合わせによってどんな相乗効果が生まれているというのか。仏像をアンドロイドにすることで新たに加わる要素として、大きく「動作」「声」「知能」というのがあると思います。「声」と「知能」は技術的な限界も低いのである程度は仕方ないとして、「動作」はもっとなんとかなるでしょう。動画にはマインダーが合掌する様子が映っていますが、それは始点から終点にただ動かしましたというようなものです。その所作に何のこだわりも感じらません。

 もちろん著名なチームの取り組みですので何かしらの説明はあるのでしょうし、記事だけを見て批判するのも雑なものだとは思うものの。あと今後の可能性まで否定するつもりはありません。何にお金を使うべきかという問題はありますが、やるからにはいいものを作っていただければ見ていて楽しいですし。

 

 ここからはさらに雑な話。一方で、ちゃんとやれば宗教とテクノロジーの組み合わせというのは何かしらできると僕も思います。ロボットやコンピュータには人智を超えたパフォーマンスができるからです。いわゆる「神業」ですね。いかにもAIブームなノリのアイデアで言えば、悩みを相談すると最適な説法を生成するだとか、様々な情報から悩みを見抜いて指摘するだとかできるかもしれません。そういうことをされると神がかった何かを感じさせることができるかも。初期のアキネーターに数ステップで絞り込まれた時の驚きの、もっとすごいやつです。技術により人間より高機能な存在を作れば、自然と畏敬の念も沸くことでしょう。SFでも「マザーコンピュータ」みたいな存在に人類が従ってるのはいかにもなやつですよね。あるいは、ただ黙々と木彫りの仏像を掘り続けるロボットなんかがあれば、心打つものがあるかもしれません。