イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

渦 その4

 どうも、たけです。ブログがはかどっていますね。コロナ禍の中での考え事、今回は給付金の要求の仕方についてなどです。

 

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媚びた政策

 「#現金一律支給がなければ二度と自民党には投票しない」というタグがトレンドに入っていて不快に思い即ブログを開いた。「得票率を上げるために老人に媚びた政策をするな」という批判と同じロジックでこれも批判できる。政策Aをすべきだから政策Aをするべきなんであって、政策Aをしないと投票してもらえないから政策Aをするべきというわけじゃないでしょう。政策Aの有効性にかかわらず、ロジックが間違っている。民主主義とはそういう世界を導いてしまうものなのでしょうが。

 あと「現金一律支給がなければ二度と自民党には投票しない」というのは裏を返せば「現金をくれたら投票してもいい」だと思うとなんだか香ばしくもある。この理由で否定しだすと「欲しがる」主張はすべて無効化されてしまうし、そういう全否定をしたいわけではない。そこに正当性があってほしいだけである。そういうところまで頭を回した上での主張であってくれよな、という気持ちである。

マスク配布にかかるお金

 全世帯にマスク2枚を配布するのに466億円かかるということで批判が上がっている。税金から466億円が市場に流入するのなら、それはみんなが望んでいるバラマキの一部なのでは?とも思うのだけれど。

 これに怒るというのは「必要な人のところにピンポイントで現金を届けろ」というベクトルが含まれ得る。その2で書いたように、全員に対する給付を望むロジックは余裕がある人にもお金が入ることを肯定しているし、なんにせよ市場にお金が流れることは良しとしているはずだから。「マスク二枚配布するのに466億円かかるのは別にいいが、それはそれとして現金給付もしてくれ」というのは十分成立する。一方で、特定の業界に税金が流れることを批判する場合は「給付先を選別すべし」という意図があるので「全員給付」にも反対するべきである。

 有効な批判は「市場に税金を投入してくれるのはいいけれど、それなら全員に対する現金給付の方がいい」というものか「別の特定の人に給付すべき」である。それならわかる。

救済のための二つの分配

 弱者救済的なことを考えるときに、「再分配」と「新分配(言葉は適当)」みたいなものをちゃんと分けて考えないといけないように思う。余裕のある人からお金を取って余裕がない人に渡す再分配をすべきという主張なのか、お金を新しく刷って配るべきという主張なのか。経済のことはよくわからないが、僕の感覚では再分配はやってほしいが新分配はよくわからん。世の中に価値が生み出されていないのにお金だけ発生するのはシンプルに違和感がある。これはマジで雑な意見です。経済のことはよくわかりません。