イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

反転した写真の何がいけないのか

はじめに

 どうも、たけです。新紙幣の肖像画において、津田梅子の写真が反転しているのでは、という指摘があるそうです。

www.sankei.com

mainichi.jp

産経の記事には

「選定された人物についてさまざまな写真を収集して、原画を作成する」と説明

とあります。「写真は参考にしただけで、それをもとに新たに描き起こした肖像画です。」と主張されれば、その新たな肖像画がオリジナルなので反転も何もないことになります。ですのでこれに対して「反転している」という指摘は誤解であり、文句はつけられない(ばっちり言い訳されている)と思います。

 とはいえ、やはり「ん?それってええのん?」という違和感はなんとなく抱きました。でもじゃあ実際のところそれの何がいけないのかはよくわからないので、今回は「反転した肖像」をテーマに考え事をします。

 

二つのポイント

 「反転した肖像画」を考えるとき、次の二つのポイントがあると思います。

  • 肖像を反転加工する行為
  • 肖像が反転している状態

それぞれ考えてみます。

肖像を反転加工する行為

 「肖像を反転することは改ざんにあたる」といった指摘は「反転加工する行為」を問題としていることになります。ではそもそも「改ざん」の何が問題とされるのでしょうか?

 改ざんが問題になるのはいろんな場合があると思いますが、すぐに思いつくのは「現実通りでなければならないことが現実通りでなくなるような変更」だと思います。例えば、撮影の原理上、左右が反転して現像される写真を提供されたときに、それを反転して向きを直した肖像画を作成した場合、これも問題になるのでしょうか? 現実→非現実はよくない気がしますが、非現実→現実の変更に抵抗を感じる人は少ないように思います。そうすると必ずしも「反転加工する行為」がすべて不適切というわけではないように思えます。

 では、現実→非現実の加工であれば問題になるとして、反転された肖像というのははたして「非現実(偽物)」なのでしょうか。そこで、次は「肖像が反転している状態」について考えてみます。

肖像が反転している状態

 「人の顔は左右非対称なものだし、それを反転させたものというのはその人ではない」という指摘は「肖像が反転しているという状態」を問題としていることになります。

 左右反転した顔、というのは、さほど珍しいものではありません。鏡があるからです。人は日常的に鏡を見ていますし、なんなら自分の顔に関しては鏡を通して見る時間が一番長いのではないでしょうか。自分が思い浮かべる自分の顔というのは左右反転したものかもしれません。鏡を見ながら描いた「自画像」を指して「それは左右反転しているのであなたではない」と言われたらそれはそれで違和感があります。

 一方で、例えば「鏡から偽物の自分が出てくる/語りかけてくる」といったように、鏡の中の反転した自分というのは「偽物」のモチーフとして表されることもよくあります。 「鏡の中の自分が自分かどうか」というのはあくまで自己認識の話であり、客観的に捉えた肖像というのは反転しておらず、それを反転させるというのは客観的事実に反するように加工する編集であり「改ざん」にあたるという指摘は一理あるかもしれません。

 

4つの場合

  • 肖像を反転加工する行為
  • 肖像が反転している状態

という2つのポイントについて、それぞれ当てはまる/当てはまらないの組み合わせで4つの場合に分けられます。それぞれの場合についてありかなしかを考えることで、自分の違和感のありかを考えることができます。4つの場合について、それぞれの例を考えてみます。

反転行為× 反転状態×

 普通に撮った写真をそのまま使っている状態です。

反転行為〇 反転状態〇

 これは今回の場合です。普通に撮った写真を左右反転しています。

反転行為× 反転状態〇

 「実は参考にした津田梅子の写真はもともと鏡越しに撮られたものだった」ということが発覚した、という仮定をおいて考えてみます。その写真をそのまま使用した場合、それは反転加工はしていませんが、顔は左右反転したものになります。

反転行為〇 反転状態×

 こちらも「実は参考にした津田梅子の写真はもともと鏡越しに撮られたものだった」ということが発覚した場合を仮定してみます。そして顔の向きを正しくするために反転加工を施した場合がこれにあたります。この場合は加工を施していますし、「鏡越しに撮った」という現実を改ざんしているとも言えます。しかし顔の向きは正しくなっています。

違和感のありかを探る

 僕が上記のようにものごとを成分に分解し、それぞれの成分を含む含まないに分けて考えるのが好きなのは、それぞれの場合についてありかなしかを考えることで自分の違和感のありかを探ることができるからです。探ってみます。

たけの場合

 さて、僕の場合は、次の結果になりました。

  • 反転行為× 反転状態× → 問題なし
  • 反転行為〇 反転状態〇 → 抵抗あり
  • 反転行為× 反転状態〇 → まあ問題なし
  • 反転行為〇 反転状態× → それはそれでわかる

これから考えるに、僕としては「わざわざ反転させるように加工する」というのがアウトのようです。もともと反転していたならそれはそれでそういうものだし、向きを直すように加工したならそれもそれで納得できる、という具合です。

Aさんの場合

 他の例として、もしAさんが次のように考えたとします。

  • 反転行為× 反転状態× → 問題なし
  • 反転行為〇 反転状態〇 → 立腹
  • 反転行為× 反転状態〇 → 問題なし
  • 反転行為〇 反転状態× → 立腹

 この場合、Aさんは何にせよそういう加工をやるのはよくない、という立場です。今回のニュースに対する反感として、肖像を反転することそのものの是非というよりは「都合のいいように情報を編集する癖の悪さ」に対するものが大きいようにも思います。Aさんの感覚もわかります。

 

おわりに

 以上、肖像を反転させることについていろいろと考えてみました。時代を反映して、SNOWとかでごりごりに盛って猫耳つけた肖像にしたらどうですかね。