聖書通読企画 その0 - 前置き
どうも、たけです。聖書を読みたい機運が高まりきったので聖書を読むことにしました。僕はクリスチャンではないしそうなる予定もないので信仰は伴いませんが、教養としてガイド本を手に1年かけてちゃんと読もうと思います。継続のためにこのブログに経過を書くつもりで、今回の記事は進め方や僕なりの背景に関する前置きです。
聖書の読み方
ガイド本
鈴木崇臣『1年で聖書を読破する 永遠のベストセラー《完読法》』(Forest Books)という本がよさげだったので、これに従って読むことにします。かつてまっすぐ旧約聖書の最初から順に読もうとして全然続かなかったので、今回はこういう解説付きの指針を導入することにしました。
この本は下記のようなものです。
- キリスト教とは全くかかわりがなかった人を対象に書かれている
- 聖書の全体を理解しやすいよう配列を工夫
具体的には、新約でキリストを知る→旧約を一通り読む→新約に戻る - 1週ごとに読む箇所に何が書いてあるのかを4ページでコンパクトに解説
週の初めに、その週に読む部分の解説を先に読む。その内容を踏まえて聖書を読み進めることで内容がよく理解できるという方式
実際読んでみるとわりと解説が物足りないのですが、まずは通読することを目指すべく多くを求めすぎないようにしようと思います。精読するなら2周目からということで。
聖書はスマホアプリで
聖書そのものですが、どこでも気軽に読めるようにスマホアプリを使います。検索すると無料のものがたくさん出てくるので、とりあえず一番上に出てきたのを入れました。
どの翻訳で読むか
日本語訳聖書はいくつか種類があるので、どの訳で読むことにするか少し悩みました。下記サイトを参考に、新共同訳で読むことにしました。ポイントは二つあって、単純に新しそうというのが一つ。宗派問わず広く使われているというのが、信仰を伴わずに読む僕には向いているのかなってのがもう一つです。文語訳も魅力的ですが、入れたアプリで文語が選択できなかったことであっさりくじけました。
”聖書の選び方”講座2時限目:わかった気になれる「翻訳」の違いについて | 聖書一覧 | 教文館キリスト教書部
読むペース
基本的には上記の本のペースに従いますが、サクサク読める分には遠慮せずに進むことにします。最低限の1週間に読む量がこの本に規定される作戦です。ちなみに一年で読む場合、聖書は約200ページあるので一日あたり5,6ページです。丁寧に咀嚼しながら読みたいので、節度あるペースでやっていくつもりです。一定の区切りごとに内容や感想をこのブログで紹介してきたいです。
聖書を読みたい機運
最初に聖書に興味を持ったきっかけ
小学校の国語の授業で夏目漱石の『こころ』を読んだとき、こんな部分がありました。
私はまた彼の室に聖書を見ました。私はそれまでにお経の名を度々彼の口から聞いた覚えがありますが、基督教については、問われた事も答えられた例しもなかったのですから、ちょっと驚きました。私はその理由を訊ねずにはいられませんでした。Kは理由はないといいました。これほど人の有難がる書物なら読んでみるのが当り前だろうともいいました。
これを読んで以来、たしかにそうだと思い「いつか聖書を読もう」と漠然と思っていました。精神的に向上心のないものはばかだ。
教養面
本を読んでるとキリスト教はよく出てきますし、聖書は引用されまくりです。キリスト教に対する理解が深まれば読書にしろ映画にしろニュースにしろ、世の中を眺める解像度は高まるはずです。僕がちまちま読書するのは教養欲しさなのですが、教養が欲しいならまずは原点たる聖書を読むべきでは?という気持ちがあります。
これまでは『面白いほどよくわかる聖書のすべて』というイラスト付きで全体をざっくり解説してる本を読んだだけでした。その名の通りわかりやすくてざっくり概要を知るにはよかったのですが、不足を感じます。
思想面
僕は自分の思想を育みたい人です。僕はクリスチャンではないですし、なる予定もありません。ですが、かなり強く影響を受けたサリンジャーの『フラニーとゾーイー』においてキリストが重要だった(サリンジャーは禅などの影響も強く受けているらしい)こともあって、思想がキリスト教と相性良く育っている気がしています。信仰するつもりはありませんが参考にしたい。特に、キリストがどれだけすごい人なのか知りたい気持ちが強いです。自分なりの聖書の解釈を持ちたい。
そう。繰り返しになりますが、キリストがどれだけすごい人なのか知りたい気持ちが強いです。聖書に書かれた出来事が嘘か真実かなんてことはどうでもいい。なぜなら「すごさ」は嘘をつけないからです。そのすごさを羨望しています。2000年前に描かれた書物が今現在もこれだけ力を持ち、人々に感動と知恵を与えているという奇跡。例えばドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章では、聖書の中のキリストが悪魔に三つの質問をされた場面について、下記のように書かれています。
もしこの地上でかつて真の衝撃的な奇跡が成就されたことがあるとすれば、それはあの日、つまりあの三つの試みが行われた日にほかならない。あの三つの問いの出現にこそ、まさしく奇跡が存しているからだ。一例として試しに今、もしあの恐ろしい悪魔の三つの問いが福音書から消え失せてしまい、それを復元して福音書にふたたび記入するために、新たな問いを考えだして作る場合を想定しうるとしたら、(中略)一堂に会した地球の全叡智は、はたしてあのとき力強い聡明な悪魔が荒野で実際にお前に呈した三つの質問に、深みや力から言って匹敵できるようなものを何かしら考えだせるとでも、お前は思うのか? これらの質問を見ただけで、またそれらの出現した奇跡を見ただけで、お前の相手にしているのが人間の現在的な知恵ではなく、絶対的な永遠の知恵であることが理解できるはずだ。なぜなら、この三つの問いには、人間の未来の歴史全体が一つに要約され、予言されているのだし、この地上における人間の本性の、解決しえない歴史的な矛盾がすべて集中しそうな三つの形態があらわれているからだ。
およそ人間業とは思えない、すごすぎる内容だそうです。こんな風に小説の中でイワンやゾーイーの推しがすごいので、「すごい人がすごいと言うのなら」と興味そそられます。仮に好意的解釈によって補強されてるとしても、それによって教訓が得られるなら助かりますし、好意的に向き合うつもりです。ぶちあがるパンチラインを期待しています。
開始
そんなわけで、2019年4月15日(月)からスタートしています。他のメンバーが全く乗ってこなかったので孤独感があるのは否めませんが、そういうものでしょう。このブログにちゃんと感想を書くぞ、ということを糧に続けられますように! 一年後めちゃめちゃ影響されてたりして。
P.S.
今回の聖書読みます宣言に関して下記のツイートを肝に銘じておく。
「こうなりたい自分」になる前に他人からの評価を先取りするクセが付くと二度と治らない。本を「買いました!」とツイートして読まない。こんな小説を「書きます!」と言って書かない。あるジャンルに「興味があります!」と言うだけで触れない。どんどん中身の無い詐欺みたいな人間になっていく。
— あかごひねひね (@akagohinehine) May 19, 2018