聖書通読企画 その11 - ヨハネによる福音書 12-16章
どうも、たけです。
聖書通読企画、ヨハネによる福音書の三回目です。淡々とやっていきましょう。
一粒の麦
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕えるものもいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。(12:24-26)
太字にしたところ、しびれるたとえですね。質問したのに対する即興の返しでこんなん言われたらマジで感動しそうです。イエスはすごい。
イエスの言葉による裁き
イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(12:44-47)
このあとも続くのですが、長くなるので切りました。太字の部分、イエスの意図とは関係ないかもしれませんが、思うところがあります。例えば何かもめ事があったときに、「仲直りするため」に話し合う人と、「相手を裁くため」に話し合う人がいると思うんですが、後者のやつなんやねん。
ユダとサタン
有名な「最後の晩餐」の場面です。イエスが自分が弟子の一人に裏切られることを予言した直後の場面。
シモン・ペトロはこの弟子に、誰について言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、「イエスの胸元によりかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。(13:24-27)
え???このタイミングでサタン入っていったん???
この直前の場面で下記のような記述もあります。
このときすでに悪魔がそういう考えを抱かせていたとして、さらにパンごと入っていったと...。イエスが与えたパンから入ったサタンのせいで裏切って、それで裏切り者としてめちゃめちゃ有名になってるって、ユダが少しかわいそうに思えてきました。旧約聖書に書かれたことが実現されるための、運命の犠牲者ですね。にしてもイエスのあげたパンからサタンが入ったというのが衝撃的です。ヨハネの解釈よ。
新しい掟
あたながたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。(13:34-35)
これがキリスト教が隣人愛を重んじる所以だったりするんですかね。愛は最強ですよね。モチベーションとして、愛が最強だと思います。そのうえで他人の愛し方の上手い下手はあると思いますが、モチベーションが愛なのはいいことだと思います。
勝利宣言
イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(16:31-33)
「お前は既に死んでいる」てきな。ここからいよいよクライマックス、イエスが磔にされにいくところですから、意気込んでますね。
今日はここまで