『欲望会議「超」ポリコレ宣言』 紹介&感想
どうも、たけです。今回は哲学者の千葉雅也、AV監督の二村ヒトシ、彫刻家の柴田英里による県談集である『欲望会議「超」ポリコレ宣言』 の紹介と感想です。前回紹介した綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』とセットでオススメです。
概要
公式の内容紹介と目次は次のようになっています。
哲学者・千葉雅也×AV監督・二村ヒトシ×現代美術家・柴田英里
エロ、暴力、心の傷、ホラー、ゾーニング、変態、炎上、#MeToo、身体、無意識……
「欲望」をテーマにこの世界を読み解けば、未来の絶望と希望が見えてくる――。「現代人は、かつての、つまり二〇世紀までの人間から、何か深いレベルでの変化を遂げつつあるのではないか、というのが本書の仮説なのです。」―「序」より
序
第1章 傷つきという快楽
第2章 あらゆる人間は変態である
第3章 普通のセックスって何ですか?
第4章 失われた身体を求めて
終 章 魂の強さということ
この本がタイトルに掲げている「欲望」というのはずばり「性欲」です。三大欲求というと「食欲」「睡眠欲」「性欲」ですが、性欲だけは満たさなくても(個体としては)死なないのでちょっとノリが違いますよね。
ずっと感じていた憂鬱
前回の記事と同じ構成で行きましょう。この本のキーワードに「お気持ち」というのがあります。僕がその辺に対して最初に憂鬱になったのは東京五輪のエンブレム問題でした。デザインというのは見た目だけの工夫じゃないわけですが、そうした素人にはわからないことがたくさんある業界のことに関して、「パクリ疑惑」が巻き起こった結果、専門家による検証を待たずして世間のみなさまの糾弾する声によって降ろされてしまったわけです。国家プロジェクトにおいてさえも、正当な手続きを経ずして市民の声でジャッジされてしまったことにショックを受けました。魔女狩りやん。
人間が素朴に判断すると間違えてしまいがちであることから反省して構築してきた様々な理性的なシステムが、結局圧倒的な感情の圧によって突破されていくのは実に虚しいです。「推定無罪の原則」だとか、それこそ「表現の自由」だとか、そういうのは最重要の砦じゃないですか。なのに「お気持ち」がこれだけの実行力を持ってしまってる。
こういうのはレビュー文化発達の悪しき側面なのかなとも思います。みんなの声が相手の価値を決めるわけです。自分が不快と思えばそれは不快なものであり、そしてそれは相手が悪いのですよと。悪いとかじゃないでしょうに。あと僕は「炎上」という現象がずっと大嫌いです。
この本の魅力
この本の大きな魅力は、「いわゆる」なところの「ポリコレ」に囚われていないところです。「なんだかんだ言っても人間ってこうだよね」という話が進むので、人間性を無視したポリコレに辟易としてる人たちにとってはカタルシスがあるのではないでしょうか。僕もシステムシステム言ってますが、それはあくまで人間に寄り添ったものである必要があると思ってるので、この本は納得しながら読めました。「『差別はいけない』とみんないうけれど。」ではちゃんと理論的な話に終始していた一方で、『欲望会議』では(各人の豊富な知識・経験に裏打ちされたものがありつつも)文学的?人間的?な視点から話が進んで行きます。
AV監督である二村ヒトシはわりと優等生的というか、優しい人で、脇が甘い部分もありつつ、しかしやはりアブノーマルな(しかし人間が出る)業界でやってる人としておもしろい具体例をたくさん出してくれます。彫刻家で炎上上等なフェミニストである柴田英里は、辛辣と言えば辛辣ですが、「実際のところこうですよね」「甘えんな」と言ってしまう鋭い切り口が持ち味です。そして千葉雅也がすごい。僕がこうした文系の世界をウォッチし始めたのがかなり最近なのでずっと名前も知らなかったんですが、少し前から千葉雅也のツイートがビシビシ来はじめて、この本でもすごかったです(『勉強の哲学』ではあまりピンとこなかった)。哲学者であると同時に、ゲイ当事者でもある千葉雅也ですが、まず知識量がなんだかえげつないだけでなく、ジャンプの具合がほどよい。様々な事象に対して、ちゃんと学問的な背景を踏まえた解説をしつつ、時には「突拍子もない」とも思えるような展開をしてくる(千葉雅也なりには突拍子もあるのでしょうが)そしてそれが説得力があるというキレッキレの言論で、おもしろかったです。千葉雅也すげ~~となりました。
やっぱり、人間を相手にしてるんだから、人間のことを考えないとどうにもならないと思います。フロイトとかに興味出て来ました。馬鹿にできんでしょ。(「真理」とまで言うかは別として)こういう話をないことにしてたら人間理解は進まないと思います。
異性愛男性は基本的に、母親の代理物としての女性を愛して結婚するのだけど(フロイトが見抜いた真理)、母も母の方で、自分の似姿を息子が欲望することを求めてるんだと思うね。姑は嫁との鏡像関係で、そのズレで苛立ってトラブるわけね。で、息子の対象が男となるとパニクるわけですよ。
— 千葉雅也「デッドライン」『新潮』9月号 (@masayachiba) August 7, 2019
以上、『欲望会議「超」ポリコレ宣言』 の紹介と感想でした。前回紹介した『「差別はいけない」とみんないうけれど。』と合わせてどうぞ。