イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

聖書通読企画 その11 - ヨハネによる福音書 12-16章

 どうも、たけです。

 聖書通読企画、ヨハネによる福音書の三回目です。淡々とやっていきましょう。

  

 

一粒の麦

 はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕えるものもいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。(12:24-26)

 太字にしたところ、しびれるたとえですね。質問したのに対する即興の返しでこんなん言われたらマジで感動しそうです。イエスはすごい。

エスの言葉による裁き

 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。(12:44-47) 

 このあとも続くのですが、長くなるので切りました。太字の部分、イエスの意図とは関係ないかもしれませんが、思うところがあります。例えば何かもめ事があったときに、「仲直りするため」に話し合う人と、「相手を裁くため」に話し合う人がいると思うんですが、後者のやつなんやねん。

ユダとサタン

 有名な「最後の晩餐」の場面です。イエスが自分が弟子の一人に裏切られることを予言した直後の場面。

 シモン・ペトロはこの弟子に、誰について言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、「イエスの胸元によりかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。(13:24-27)

 え???このタイミングでサタン入っていったん???

 この直前の場面で下記のような記述もあります。

夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。(13:2)

 このときすでに悪魔がそういう考えを抱かせていたとして、さらにパンごと入っていったと...。イエスが与えたパンから入ったサタンのせいで裏切って、それで裏切り者としてめちゃめちゃ有名になってるって、ユダが少しかわいそうに思えてきました。旧約聖書に書かれたことが実現されるための、運命の犠牲者ですね。にしてもイエスのあげたパンからサタンが入ったというのが衝撃的です。ヨハネの解釈よ。

新しい掟

 あたながたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。(13:34-35)

 これがキリスト教が隣人愛を重んじる所以だったりするんですかね。愛は最強ですよね。モチベーションとして、愛が最強だと思います。そのうえで他人の愛し方の上手い下手はあると思いますが、モチベーションが愛なのはいいことだと思います。

勝利宣言

 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。(16:31-33) 

 「お前は既に死んでいる」てきな。ここからいよいよクライマックス、イエスが磔にされにいくところですから、意気込んでますね。

 

今日はここまで

今月のいいね 2019年7月編

 どうも、たけです。今月SNSなんかで気になったものをざっくり紹介していくコーナー、2019年7月編です。

 

 

フライボード

gigazine.net

 最初CGかと思いましたが、すごいですね。これだけの出力を出せて、かつこれだけ高重心のものを安定させる制御が効くもんですね。人がどのくらい頑張ってバランスとってるのか気になります。人の制御能力はすごいので。

 こういうのって、乗ってる人はどのくらい「飛んでる感」があるんでしょうね。無重力で浮いてるのと、こういうので浮いてるのとって全然意味が違いますよね。これは「浮いている台に立っている状態」です。水に浮いている板の上に立つことと似たような感覚だったりするんですかね。「飛んでいる」ということの成分には「高さ」とかもあるでしょうから、水上の板とは違うとは思いつつ、どうなんだろうというのが気になります。

 それでいうと、下記極めすぎの動画なんかの方が、立脚するのではなく、全身に均等に圧力がかかって浮いているので、水中に浮かんでるのと同じような浮遊感がありそうに思えます。

プリンストンガ

  

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めちゃめちゃいい...。「プリンストンガ」というのはピエール瀧とアート・ディレクターの田中秀幸のユニットらしいです。電気グルーヴとかも全然知らないんですけど、ピエール瀧こんなこともやってるんですね。

女性型ロボット「ST-01」

  真広さんによるドールロボット。こういう界隈があるのは知っていましたが、めちゃめちゃレベル高いですね。えげつない実装能力です。この手足の細さにしてこの自由度の多さと動きの滑らかさ、バランスのよさ。すごいすぎる。

カラーコーンの残骸

 よい。この人のツイートはだいたいよい。

ドローンショー

  この手のやつは数年前から出てきていましたが、ぐいぐいレベルアップしてますね。従来難しいとされてたことがパワーで解決されていってる感じ。魔法とはめちゃめちゃ見分けつきますが。

発光塗料

  これはかなり熱いですね。蛍光灯とかLEDとか想像してほしいんですけど、「面で光るもの」ってなかなかないんですよね。ディスプレイみたいに点光源を敷き詰めて面っぽくするとか、スモークガラスとかにうまく反射させて面っぽくするとかはできますが、もとの光源が面で光ってるわけじゃない。この塗料は曲面も含めてかなりお手軽に面光源を作れそうなので、かなり使いどころがありそうです。

不可視彫刻

  メディアアーティストの坪倉輝明さんの作品。1,2年前のものだった気がするが、再度バズっていた。これはめちゃめちゃイケてると思います。たぶん(偽の)懐中電灯の位置を外から計測して、その位置に応じて計算した光と影をプロジェクターで壁に投影してるのだと思います。実際に手元の懐中電灯が光っているわけではない。いろんなVR作品がありますが、これほど現実世界に非現実を持ち込めた作品はなかなかないんじゃないでしょうか。これは魔法と見分けがつかないかもしれない。

ナマズすごい

 自分の半分以上もあるような魚を一飲みにするナマズ。捕食できるサイズが大きいほど捕食できる対象が増えるわけで、捕食できる対象が増えればそれだけ餌に遭遇する確率が高まるわけで、と思うと、大きなものを飲み込める能力は大事ですね。皮膚なんかもそうですけど、これだけ伸縮性がある防水素材って人工的にはなかなか作れないわけですが、ナマズの胃とかどうなってんですかね。

 

以上、今月のいいね 2019年7月編でした。

YouTube:「アンガールズ田中、Aマッソにテレビで売れる方法を講義」

 どうも、たけです。

 お笑い芸人AマッソのYouTube企画で、アンガールズ田中がAマッソにテレビで売れる方法を講義するというものがありました。(僕が活かす場面はないとはいえ)なんだかとても勉強になる内容というか、「プロってやっぱすげぇ~」となる内容でした。

 

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 いろんなアドバイスがありました。基本的なスタンスは、まずはちゃんと場に貢献する、絵作りに協力するといったことをちゃんとやって、そのうえで挟めそうなところで自分のお笑いを挟み込むということ。そのためにも時間帯や客層、場に求められているものを見極めてふるまう、ということでした。やっぱ残ってる人ってちゃんとやるべきことをしっかりこなしてるんだなぁと感心しました。ラジオでもそういう裏話を聞いて感心することは多いですね。オードリー若林も「自分は番組の歯車としてうまく機能することを目指してる」みたいなことを言ってたので、ちゃんとプロはプロの仕事をしてるんですね。

 そういう「場のことをまず考えて、そのうえで自分の長所を活かす」みたいなことは何事においても大事だよな、とも思います。僕は破天荒な感じじゃないわりに自己顕示欲が強いので、まさに自分を抑えて真面目に場に貢献するようなスタイルを身に着けるべきかもしれません。自分を出してホームランを打てるほどじゃない。

 また、こういうメソッド的な裏話的なのを聞くと冷める人もいるかもしれません。僕は裏側とか人の洗練された技術とかに興味があるので、むしろこういう話を聞くほどコンテンツを楽しめそうです。テラスハウスもスタジオメンバーすごすぎますよね。

 

ちなみに、Aマッソもおもしろいですが、ゲラニチョビという番組で仲良しの強烈な後輩芸人が出る回が元気が出るおもしろさなのでオススメです。説教するていなのにもう笑っちゃってるのがいいですね。

 

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聖書通読企画 その10 - ヨハネによる福音書 7-11章

 どうも、たけです。

 聖書通読企画、ヨハネによる福音書の二回目です。先に読んだ「マタイによる福音書」とイエスに対する印象が異なってきました。

  

 

生きた水の流れ

 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている”霊”について言われたのである。(7:37-39)

 イエスの教えでは「求める人には与えられる」というノリがあり、「わたしのところに来て飲みなさい」というのはその感じです。さらに、その次の「その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」というところは一つのポイントですね。常にイエスから与えられるものではなく、信仰によって自分自身の内に聖霊を宿すことができ、自らが恵みを与える側にもなれるということでしょうか。

罪を犯したことのないものが

 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことがない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いたものは、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたに罪を定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(8:3-11)

 有名なやつきましたね。世の炎上案件なんかを見てるとこういうことを思うことがあります。とはいえ、潔白な人しか批判する権利を持たないとするというのも、誰も何も言えなくなってしまいますし、ちょっとどうなのかなとも思います。ただ正義の鉄槌で人を殴ることが大好きな人たちにはこういう反省的な視点をぜひ持ってもらいたいものですね。

 このエピソード、「わたしは罪を犯したことがないので」って石投げる人がいなかったのはみんな敬虔ですごいことですね。今SNSでこんなこと言っても「いや私は潔白に決まってるやろ」って言ってそのまま石投げ続ける人いっぱいいそうです。こういう謙虚さというか、「罪を犯す側の気持ちだってわかるやろ」という寄り添い方を推奨するのは正しい一方で、この説教を実践すると反省能力を持ったまともな人が黙って、反省能力を持たないやばい人が引き続き石を投げ続けることになりそうですね。

 そしてこのときイエスは地面に何を書いてたんや。みんなが去るまで間を持たせるために一回消して書き直したりしたのかもしれない。

エス、逃げる

 ユダヤ人たちが、「あなたはまだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』。」すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。(8:57-59)

 8章の後半は、イエスが自分がメシアであることを説明する場面でした。が、最終的に信じてもらえずに石を投げられかけるという珍しい展開でした。イエス一休さん力をもってしても、奇跡なしに信じさせるのは難しいんですね。ここでの一連のイエスの説明は「あなたたちがこれを理解できないのはあなたたちがわたしを信じていないから」みたいな言い回しが多く、たしかにそれじゃ納得できんわなと思います。メシアレベルの概念になると仕方ないのかもしれませんが、「あなたがこれを理解できないのはあなたが馬鹿だから」というのはTwitterバトルでもよく見る嫌なやつですね。

見える者は見えないようになる

エスが盲人の目を見えるようにした後、それを安息日に行ったこともあってアンチにいろいろ言われます。

エスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」(9:39-41)

 そうそうこういうのよ!イエス一休さん力。基本的にイエスの教えは謙虚さを重んじてるので、僕は好きです。

その業を信じなさい

それなら、父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」(10:36-38) 

 「わたしを信じなくても、その業を信じなさい」って、前田敦子の名言「わたしのことは嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください」っぽいですね。AKB好きやったんかな。

 「マタイによる福音書」における「荒野での悪魔との問答」に関する「カラマーゾフの兄弟」での解釈(→聖書通読企画 その1)で、「イエスは奇跡による信仰を望んでいない」とあり、マタイ~を読んでる分には「たしかにそんな感じだな」と思っていたのですが、ヨハネによる福音書を読んでいると奇跡を見せつける場面や、「メシアじゃなかったらあんなことできひんやん」みたいな説得をする場面がわりとあります。なので「イエスは奇跡による信仰を望んでいない」という解釈にちょっと疑問を抱いてもいます。かといって、疑われたときにその反論のために何か奇跡を行うことはないので、あくまで信仰者の前でより信仰を高めるための奇跡ならOKということなのかもしれません。

 11章でもそういう場面があります。死んでしまったラザロを生き返らせる場面です。

 イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます。」と言った。イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。」わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出てきた。(11:38-44)

  まずイエスがラザロを愛していたとして、どういう基準で人を選んで生き返らせたりするのかはよくわかりませんね。そして太字にした部分。こう言われるとめちゃめちゃ見せつけるための奇跡やんってなりますね。

 

今日はここまで

Netflix:「殺人犯の視聴率」紹介&感想

 どうも、たけです。

 新カテゴリ「Netflix」です。テラスハウスを見るために加入して、しばらくテラスハウスを見るためのサービスとしてのみ利用していたのですが、最近話題になっていた「殺人犯の視聴率」というNetflixオリジナルドキュメンタリーを見てみたら評判通りおもしろかったので紹介します。伊集院もラジオでおすすめしてましたね。

 

紹介

 ブラジルでもトップレベルで凶悪犯罪(殺人、麻薬密売)が発生する街、マナウス。元警察官で記者に転身したウォレス・ソウザは、犯罪現場に駆けつけてスクープを生々しく報道する番組「カナル・リブレ」を立ち上げた。その番組は圧倒的な支持を得て、市民から犯罪情報が寄せられ、警察よりも早く事件現場に駆け付けたり、多くの犯罪を告発したりする正義の存在となった。司会者のウォレス・ソウザも英雄的な人気となり、後に政界に進出。史上最多票を経て議員となり、犯罪を減らすために奔走していた。不思議ではあった。なぜ毎回のように番組スタッフが第一発見者となるのか?まるで、ウォレス・ソウザは犯罪が起こることを先に知っているかのような...。そんななか、ある告発により事態は急変する...!

 

てきなお話です。キーワードは「巨悪」「陰謀」「嘘」あたりでしょうか。めちゃめちゃハードボイルドです。いろんな意味で「これが現実に起こったのか」という驚きがある、漫画のようなお話です。

 このドキュメンタリーは主に次の3種類の映像で構成されています。

  • 再現イメージ映像
  • 当時のニュース映像やインタビュー映像
  • 現在のインタビュー映像

 うまいなぁと思うのは、現在のインタビュー映像の匙加減です。基本的に20年前とかから時系列に沿って騒動を追っていくのですが、その合間にNetflixが騒動の重要人物にインタビューしている現在の映像が差し込まれます。すると、「この人が今インタビューでこういうノリで話せているということは、え、どういうこと?」というように、未来の情報を小出しにすることで騒動の展開がより気になります。

 

感想(ネタバレあり)

 終盤は少しヘビーでした。そしてもやもやが残りますね。特に僕がこの番組を知ったツイートでは「ウォレス・ソウザが殺人を指示していた」という紹介だったので、そういうことになるのかと思っていたら、これはどうやらそんな単純な話ではないと分かってきて驚きました。「十二人の優しい日本人」てきなね。番組の情報だけで言えば、ウォレス・ソウザを擁護する説明もできるように思いますし、実際にしていましたし、「疑わしきは罰せず」てきにこれはどうなのかと、苦しくなりました。本当にどちら側の説明ももっともらしく、どちらにしても恐ろしく巨大な陰謀で、現実の出来事と思うとしびれます。息子のラファエルが怪しすぎるのでなんとも言えませんが、なんか、ウォレス・ソウザ、かわいそうでしたね。巨悪なのかもしれませんが、しれないかもじゃないですか。いやでもモアがウォレス・ソウザとめちゃめちゃ電話した記録があるからなぁ。でも、あんな陰謀と犯罪うずまく世界を見せられると、その通話記録が本物かどうかもよくわからなくなってきます。結局もやもやが残る終わり方でしたが、もやもやしていることも含めてやばい世界を垣間見れておもしろかったです。

聖書通読企画 その9 - ヨハネによる福音書 1-6章

 どうも、たけです。

 このブログの更新と共に聖書を読むのも止まっていましたが、こちらも再開です。「聖書を読み進める→ブログを書きながら精読」というルーティンで進めています。1年で終わりそうにないですね。まぁ気ままにやってきますよ。

  

 

ヨハネによる福音書の概要

 「第四福音書」に位置づけられるらしい。つまり4つある福音書のうち最後に書かれたものっぽいそうで。一通り読んでみた感想として、先に読んだマタイによる福音書に比べて著者の目線が出ているように感じました。詩的な表現が光っていたり、説教というよりは出来事を通してイエスを描いていたり、ファンがイエスの動向を追った記録のような形相でした。マタイによる福音書ではもっと様々な説教を引用して紹介していたのですが、ヨハネによる福音書では生活面をフューチャーしていたように思います。

 基本的にマタイによる福音書と重複した内容でもあり、2周目の感じもありつつ読みました。しかしながら、大きく違うのはヨハネによる福音書ではスタートがもう洗礼者ヨハネと出会うところで、次の場面ではもうイエスが神殿で暴れています。イエスの出生やそれまでの経緯はすっ飛ばして、神の子としての活動を始めてからの部分に夢中になっています。

 もちろんこのヨハネは洗礼者ヨハネではなく、十二使徒の方のヨハネです。

言が肉となった

 初めに言があった。言は神と共にあった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(1:1-5)

 ヨハネによる福音書の冒頭部分です。非常にうつくしい書き出しだと思います。僕が参考にしているガイド本『1年で聖書を読破する 永遠のベストセラー《完読法》』曰く、ここでの「言」というのはイエス・キリストのことで、イエスが永遠の昔から存在していたことを言おうとしているらしいです。「光があれ」と言を発したことから始まっていますもんね。

 最初はこういう観念的な表現からはじまりますが、以降は普通の文章で進んでいきます。

 三日で建て直してみせる

エスが神殿で大暴れした後のシーンです。

ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は立てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(2:18-22)

 ネタバレがすごいですね。ここの意味をちゃんとわかってなかったので、ここまでストレートに説明してもらって助かりました。自分の体のことだったとは。

新たに生まれなければ

エスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年を取った者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。」だれでも水と聖霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこに行くのかを知らない。霊から生まれたものも皆、そのとおりである。」(3:5-8)

 う~ん、、、よくわからん。「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」というのはどういうことか。そういうわけでいろいろ調べると、洗礼によって生まれ変わるといういうことっぽいです。そのことかいな。霊的に変化が起きる必要があるということですね。

わたしの父は

そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」(5:16-17)

  この「わたしの父もそうしてるのでわたしもそうします」という論法、無敵じゃないですか??そうなんだからしかたないんでしょうけど!

わたしが命のパンである

すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降ってきて、世に命を与えるものである。」そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、たらしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。(6:32-36) 

 こういうのって、「霊的な意味でのパン」みたいな概念を掴まないとよくわからないんでしょうけど、当時のユダヤ人たちは宗教的な勉強はある程度しているはずで、そういう概念にどの程度親しみがあったんでしょうね。質問が低レベルすぎますが。

 

マタイによる福音書と共通している部分も多いので、こんな感じでさらっと行きたいですね。

音楽:相対性理論「調べる相対性理論」

 どうも、たけです。

 僕が大好きな相対性理論というバンドが自身初のライブアルバム「調べる相対性理論」をリリースしました。さっそく購入して聞いたので感想を少し。

 

 せっかくなのでAmazonで予約してTシャツ付きの初回限定版を購入しました。

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 正方形の大きな箱にTシャツとCDが梱包されたスタイルでした。あと缶バッチがついてました。ぎりぎり普段着にできるデザインですかね。微妙か。

 

 相対性理論のライブには1度しか行ったことがないのですが、そのとき聞いたものだったり、YouTubeにある数少ないライブ音源だったりで、演奏がバチバチにかっこいいことは認知していたので期待大。CDを開封してしばらく眺めたのち、Apple Musicにすでに上がっていたのでCDをどこにも読み込ませることなくApple Musicで聞き始めました。変な感じ。

 

 アレンジも凝っていて、演奏はバッチバチでかっこいい。やくしまるえつこやくしまるえつこなりにバイブスがあるように聞こえる。曲は「シンクロニシティーン」以降のものがざっくばらんに。「わたしは人類」はやくしまるえつこのソロ曲だったはずで、でも下記動画ではあきらかに相対性理論のメンバーが演奏してるよなと思ってましたが、もう普通に相対性理論のアルバムに入って来るんですね。そういえばライブでもやってた気がする。あいまいな境界。ひょうひょうとしていてよろしい。

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 ライブに行った時に思ったのだけれど、やくしまるえつこの力の抜けた声と、ちょっとノリが違うようにも思えるキレキレの熱量高い演奏が妙にマッチしている。「LOVEずっきゅん」は音源なんかでもふざけた歌詞とキレキレの演奏との混ざり方が印象的だった。

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 最近リリースされた曲である「NEO-FUTURE」はライブ盤でもそこまで変化がなくてちょっと寂しかったです。この曲の未来都市てきなイメージが相対性理論のイメージにばっちりで、楽しみにしてたのですが。代表曲「ミス・パラレルワールド」のMVは夜の高速道路(東関東自動車道らしい?)を淡々と走っている映像であるように、僕にとって相対性理論というバンドは都会生まれ都会育ちの未来人のようなイメージです。

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 めちゃめちゃいい、ということもないですが、普通にいいアルバムでした。いつもと一味違う熱のある相対性理論を楽しめますね。