イタリアンアルティメットダークネス日記

おませな小学四年生たちが綴るわいわいブログ

たけの大喜利修行 その6 第三戦の結果

どうも、たけです。

shogakuyonensei.hatenadiary.com

 

 ママタルトのラジオ母ちゃん#32が公開され、ガチの大喜利コーナーでは今回も僕の回答は読まれなかった。読まれないことに慣れてきた。これもはがき職人への道の一つなのだと思う。送られてる回答が1000通とか越えてるらしくて、めちゃくちゃ厳しい戦いに手を出してしまったなと改めて痛感している。今回送っていた回答はこちらから。

 

 今回のお題は#32『一切の許可を得ず勝手にやっているセブンイレブン。どんなの?』だった。採用された回答を聞いていると結構『偽物のコンビニ、どんなの?』くらいの感じで、僕の回答はちょっと的を外していたかもしれない。ちょっと外していてもおもしろかったら採用されてたはずとはいえ、これはなかなか反省になる。

 そもそも、この「ガチの大喜利」ではかなり受けの広いお題が出される。基本的に「こんな○○はイヤだ。どんなの?」がそのままか、それをちょっと言い換えたものである。これはボス檜原があえてやっていることである。今回お題の表現の変形が少し大きかったことで、その認識がぶれてしまっていた。

 例えば次のようなお題は、比較的受けが狭いお題である。

 受けがめちゃめちゃ狭いというわけでもないが、先にある世界が提示されていて、その世界で起きることを答えるため、世界が限定されている点で受けが狭い。「正解」が存在しうるお題と言えるし、「納得」系のも通用する。一方、ママタルト檜原の好みでは受けが広い大喜利をしているので、その世界に的を絞ったような回答は期待されていない。どこからあるあるや例えを引っ張ってきてもいいようなお題になっている。今回僕はそこを読み違えていて、「偽物のコンビニ」くらい広く捉えていいところを、「一切の許可を得ず勝手にやっているセブンイレブン」とがっつり絞ってしまっていた。これは「ガチの大喜利」攻略としてよくなかったと思う。

 

 また、過去回を聞きなおして、一つボス檜原の好みに気が付いた。彼は「実際にそれを目の当たりにしたときに笑っちゃうやつ」を好きっぽい。実際に#31の「こんなスイミングスクールはいやだ。どんなの?」の採用回答でラジオネーム魚目村「受付の人も濡れている」に対して「ほんまにな、スイミングスクールに行って笑うときってこんなんやと思うねん」と発言している。今後はそういう回答を出せるように意識していこうと思う。

M-1グランプリ準決勝感想

 どうも、たけです。M-1グランプリの準決勝を映画館でライブビューしてきました。考えてみるとお笑いライブを劇場に近い形(周りに観客がいる)で見るのは初めての経験だった(ラランドの単独とマイナビラフターナイトのチャンピョンライブを配信で見た程度の経験値)。全組おもしろかった上で、より印象的だったコンビの感想を書きます。特にお笑い通でもないし審査能力もないので、マジで自分用の思い出メモです。

 

M-1のホームページの掲載順をもとに。

オズワルド(決勝進出)

 今年のマイナビラフターナイトのチャンピョンでもある。去年のM-1の決勝のときよりもかなり磨きがかかっていて、とにかく伊藤の熱量がめちゃめちゃパワーアップしてておもしろかった。去年のM-1の決勝で初めて知ったときはわりと大人しくセンスを見せつける関東お笑い筆頭というようなイメージだったが、伊藤の口がどんどん悪くなってきててめっちゃレベルアップしてる。

コウテイ

 もともと好きなのもあるが、準決勝めっちゃおもしろかった。敗者復活を期待。テンポが速いので4分ネタが5分くらいに感じたし、そのおかげで期待以上に展開があってネタ2本みたくらいの満足度だったし、お笑いパワーに満ちていた。

ニューヨーク(決勝進出)

 これまた去年のリベンジ組で、去年よりしっかりおもしろくなっていた。屋敷はちゃんと笑わずに怒ってツッコんでいた。去年M-1決勝進出、今年キングオブコント2位、というめちゃめちゃいい流れで来てる。

タイムキーパー

 Twitterで話題になっていた気がするので期待していたが、たしかにめちゃくちゃ仕上がったネタでおもしろかった。2回戦の動画を見直すとそうでもなかったので、このネタが特別すごいのかもしれない(発明的な仕掛けが入っていた)(ネタの中身のことはSNSなどで言ってはいけないらしい(決勝のネタバレになるので(敗退したコンビについても当てはまるのか??)))。敗者復活で同じネタをやるとすれば、期待してみてほしい。

ゆにばーす

 はらちゃんの振る舞いを変えることで進化しようとしているのかもしれないけれど、なんか悲壮感が漂い始めていないか?

おいでやすこが(決勝進出)

 R-1をあまり追ってなかったので知らなかったが、R-1決勝常連のおいでやす小田とこがけんが組んだユニットコンビ。R-1突然の芸歴10年以下縛りによって舞台を奪われた彼らがまさかのM-1で決勝進出。一番ウケていたように思うし、完全に納得の決勝進出。ユニットコンビがM-1優勝となればかなり歴史的な事態であるが、十分ありうるおもしろさだった。

マヂカルラブリー(決勝進出)

 2017年ぶり2度目の決勝進出。めちゃめちゃウケていた。野田クリスタルが大暴れしつつも、「シュールでよくわからない」という感じにならずにしっかり万人ウケする形になっていたと思う。かなりいい感じだった。

東京ホテイソン(決勝進出)

 霜降り明星が優勝した年から話題になっていたが、ついに決勝。根本的なスタイルというかノリは変わってないのに、漫才の中身はめちゃめちゃ進化して新しいスタイルとも言えるくらいにブラッシュアップされていた。おもしろいのはおもしろいとして、そのブラッシュアップのすごさに痺れた。

アキナ(決勝進出)

 アキナもめちゃめちゃウケていた。漫才パワーがめちゃめちゃ上がったいたように思う。

錦鯉(決勝進出)

芸歴26年とかなのに、結成8年なのでM-1に出れる。遅咲きにもほどがある。おじさんM-1ドリーム。準決勝では大トリを務めて、めちゃめちゃウケてた。決勝進出者で史上最年長なのでは?松本人志と8歳しか変わらん。

ウエストランド(決勝進出)

 漫才のスタイルは変わっていないが、井口の毒が行くところまで行ってついに昇華した感じ。もう失うものはないかのごときパワーがあった。

見取り図(決勝進出)

 正直それほど強さは感じなかった。強さというか、3年連続決勝進出として、去年より磨きがかかっている感じはなかった印象。「あたまおかしいんちゃうか」みたいなツッコミしつつ「あたおか」は言ってなくてちょっもモヤモヤした。

金属バット

 好きだけれど、あまり進化は感じなかった。本人たちが脱力系すぎて、バイブスがものをいうM-1にはまじで向いてないのかもしれない。敗者復活の可能性は高いと思うので、それに期待。

ぺこぱ

 準決勝までこれただけでもすごいと思う。わりとメタが強いネタだったが、去年知らしめた新しいスタイルによって背負った十字架を清算するというか、もうあれ以上できませんというケリをつけるようなネタにも見えた。

ラランド

 ワイルドカードで復活したラランド。一度負けたもののバイブスを感じた。サーヤが大暴れしていてかなりパワフルだった。やっぱめちゃめちゃ芸あるな。

 

 

以上。

個人的に好きなのはニューヨークとオズワルド。優勝予想としてはおいでやすこが、マヂカルラブリー、錦鯉です。敗者復活はコウテイか金属バットにきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

たけの大喜利修行 その5 二回目の投稿

どうも、たけです。今日は映画館に行ってM-1グランプリ準決勝のライブビューイングを見てきました。めちゃくちゃおもしろかったです。だがおれの戦場はこっちだ。

 

GERA放送局「ママタルトのラジオ母ちゃん」の「ガチの大喜利」コーナーへの二回目の投稿作です。

shogakuyonensei.hatenadiary.com

 

 

ちなみに登校したのは#31の放送前だったので、そこでの反省は反映されていません。

 

いざ。

 

#32『一切の許可を得ず勝手にやっているセブンイレブン。どんなの?』

回答1:居抜き物件なので外装がびっくりドンキーのままになっている

 「勝手にやってる感」を「雑な感じ」で考えていって、居抜き物件にしようと思いついた。居抜き物件の中で何の居抜きが一番おもしろいのかは詰め切れてない気がする。今から思うと「居抜き」というのは結構大喜利では頻出の技な気がしてきた。

回答2:買いたいものをトングで掴んでトレーに乗せてレジまで持っていくと、全商品の値段を暗記している店員がレジを打ってくれる

 居抜き物件の発想の流れではあるが、逆に外装ではなく店内のシステムを残したパターン。パン屋さんの仕組みで運営している。暗記している店員さんすごい。

回答3:近所のセブンイレブンから買ってきた商品を定価で売っているため利益が出ていない

 まず「実際に勝手にセブンイレブンをやるとしたらどうするか?」を考えて、「近所のセブンイレブンから買ってきた商品を売る」とした。最初は「定価の1割増しで売っている」としてたけど、それやと条理が強すぎるので、不条理さを出そうと「利益が出ていない」に変えた。

回答4:メニュー表から買いたい品物を注文すると、近くのセブンイレブンから買ってきてくれる

 回答2の発想のレストラン形式版と回答3の発想を合体させた感じ。何が正解なのかわからんくなってきた。

回答5:二階建てになっている

 2階建てのコンビニってないよねってだけ。「二階建てになっていて、一階は~、二階は~になっている」とかまでできなあかんのやろうけど、無理やった

回答6:エロ本や避妊具はのれんで仕切られた18禁エリアに置いてある

 回答2と同じような発想で、他の店のシステムが入ってるパターン。コンビニでエロ本普通においてあるのあかんやろっていう議論よくあるからそのあるあるとして。

 この前紹介したボス檜原の大喜利講座で「オチより前の文では強い言葉は使うべからず」てきなことを言っていた(「女子便」は無駄に強いので「女子トイレ」の方がいいなど)ので、一応「コンドーム」じゃなくて「避妊具」にした。てか今思えば避妊具って別に18禁じゃないな。

回答7:nanacoにチャージすることはできるが、nanacoで支払うことはできない

 「悪い奴らがセブンイレブンを装ってる」という設定のルートで考えて、あくどい感じのにした。ママタルト檜原がおもしろがる感じではない気がしつつ(もうちょっと馬鹿らしい方が好きそう)。

回答8:700Wのレンジだと何秒チンしたらちょうどいいのか熟知している

 コンビニの1500Wのレンジええよなって気持ちから。偽物なので700Wのレンジしかない。でもコンビニの商品って500Wで何秒かしか書いてないから、店員は700Wの場合どのくらいにしたらいいのかの計算を会得してるっていう。この想い、伝わるか??伝わったとしておもしろいのか??

 

#33『こんなマラソン大会は参加したくない。どんなの?』

回答1:良かれと思って、水ではなくカロリーメイトを支給している

 とりあえずシンプルな「こんなマラソン大会はイヤだ」。口の中の水分取られる代表食品としてのカロリーメイト

回答2:みんなより先にワイナイナが出走している

 絶対勝てへんから走る気無くす、てきな。ワイナイナは使い古されてる感じあってちょっと恥ずかしいけど。

回答3:給水所でバナナが配られているため、道にバナナの皮が散乱してマリオカートみたいになっている

 マリオカートのあるある持ってこれへんかなとふと思いついたやつ

回答4:ゴール前で待機し、選手が来る度に少し先にゴールする役割の人がいるので屈辱的なゴールしかできない

 マリオカートあるあるの続き

回答5:すぐ後ろを励ましながら走ってくれるサポーターが付くが、ラストスパートで引き離され、自分がゴールしてからも会うことはない

 回答4の変形。謎のさみしさが残るマラソン

回答6:好きなルートでゴールまで走り、走った距離が最も42.195kmに近かった人が優勝する

 これはこれで楽しそうやから微妙やな。勝利の基準を変えるルートで考えた。

回答7:全員クラウチングスタートで走り出すことになっている

 いや短距離じゃないねんから

回答8:総当たり形式で優勝者を決めるので、何回も走らないといけない

 前回の考察でママタルトはトーナメントが好きってことを認識した。直接トーナメントにするのは直球すぎるので総当たりにしてみた。

回答9:レース結果がタイムではなく100点満点中の何点だったかで提示される

 こういうの、謎のスタイルを当たり前やと思ってる世界観出したいなと思ってるけど、ちょっと出せた気がする。回答6と同じで勝利基準を変えるルートで発想。100点満点じゃなくて990点満点でもよかったかも(なんでTOEICと同じやねんっていう)。

 

 

微妙な手ごたえですな!

 

たけの大喜利修行 その4 第二戦の結果

どうも、たけです。圧倒的な力不足を感じる...。

shogakuyonensei.hatenadiary.com

 

ママタルトのラジオ母ちゃん#31が公開され、ガチの大喜利コーナーでは今回も僕の回答は読まれなかった。厳しい世界や...。今回送っていた回答はこちらから。

 

 

 採用された回答を聞いてると、やはりまだまだ自分の大喜利力からの距離を感じる。「おいだき」というのは思いついてたのにうまく使えなくて投稿してなかった。ちょっと惜しい。あとプールの長さをいじるのも間違えてはなかったのか。今出してる回答が完全に間違えてるわけじゃないけど、飛躍だとかひねりだとかが2段階ほど足りていない。あと尊敬してるツイッタラーのひつじのあゆみ氏が採用されてた。多分今回初めて。最近参戦し始めはったんやろか。「京都府」って読まれた時点でちょっと期待してしまって、ラジオネームが自分じゃなくてがっかりするの恥ずかしい。

 

今日中古で漫画買ったけど、買ってから見てみたらめっちゃちぐはぐな組み合わせ。

f:id:shogakuyonensei:20201126212653j:plain

 

どっちも有名な漫画やし、こういう教養を身に着けるのも大喜利に活きそうですな。

 

濱野ちひろ『聖なるズー』 感想

 

どうも、たけです。

濱野ちひろ『聖なるズー』を読みました。感想を書きます。

 

books.shueisha.co.jp

 

 まず読んだ動機について。世の中の「セクシュアリティの多様性を肯定していこうぜ!」みたいなノリの人の中に混ざってる「LGBTQは良いけどペドフィリアやズーフィリアはありえない!」みたいな態度の人に対して「なんもわかってへんやん」という気持ちになる。異性愛も同性愛も幼児性愛も動物性愛もその他愛も対等に扱われるべきであり、批判されるべきなのはざっくり言えば「誰かを傷つける場合」だけである(ただし、我々が動物である限り「生殖可能か」という基準による線引きは強い力を持ち得るとは思う)。どんな性的嗜好を持とうが人に迷惑をかけなければ何の問題もない(と僕は思っている)。そういうわけで、動物性愛というマイナーで世間に受け入れられにくい性的嗜好を持った人たちが、どのようにうまくその生活を成り立たせているのか興味を持った。

 

 さて、そんなわけで「動物性愛をうまく成り立たせている人」の話だと思って読み進めていると、どうやら実際にはそういう話ではなかった。これは動物性愛のうちの「聖なるズー」という限られたスタイルの人たちの話である。タイトルの意味が読んでるうちにわかる系の本だった。本書の内容は、主にドイツにある動物性愛者たちの団体「ZETA/ゼータ(寛容と啓発を促す動物性愛者団体)」の人々の取材記録と筆者による考察である。

  このゼータの思想はある偏りを持っている。これは途中で登場する、ゼータと見解の相違により喧嘩別れをしたエドガーという人物が次のような意味深な発言をすることで明らかになる。

「ゼータは、ドイツのズーの氷山の一角に過ぎないよ」
「問題点といえるかはわからないが、彼らはとても変わったズーたちだ」
「彼らは倫理観が強すぎて、それにそぐわないメンバーをどんどん追い出していく。」

という具合に、なかなか劇的なセリフで示唆される。彼が言うにはゼータの面々というのは聖人君主を目指した「聖なるズー」らしい。ここに焦点をあてて感想を述べていく。

 

 まずズーフィリアを倫理的な視点で見るときの主要な論点と、それに対するゼータの主張を整理する。

 論点①:「倫理的な性行為かどうか」を判断するうえで「同意が取れているかどうか」という点に着目する。ズーフィリア断固反対の人は、動物相手に同意も何もないだろうと反論するだろう。これに対し、ゼータは「動物には“パーソナリティ”があり、言語を介さずとも通じ合っているので同意が取れていることは我々にはわかる」というような回答をする。さらには「我々には動物が性行為を誘ってきていることがわかる」、さらに相手から誘われたときのみ応じるのだという。なので、ゼータ的にはこの点はクリアしている。

 論点②:「動物も性的にケアされるべきである」という主張がある。これは幼児性愛とも比較されながら語られた議題なのだが、ペットを「子ども」として愛でるタイプの人間にとって、子どもであるペットが「性欲」を持ってはならないとする価値観が根強く存在するということが挙げられた。実際に多くのペットが様々な理由をつけて去勢されている。ゼータの立場は「動物も性的にケアされるべきである」という考えである。(僕個人としても飼い主の都合によって性的快楽を得る機会を奪うことはかなり残酷な行為だと思っている。)

 論点③:動物がどの程度の権利を生まれ持っていると考えるか。動物を人間より下等な存在とみなすのか、ある程度の知能や「パーソナリティ」を備えていれば人権同等の何かを付与すべきと捉えるのか。ゼータはパートナーとする高等動物を自らと「対等」の存在だとみなしている。

 

  以上の論点を踏まえ、ゼータの人々は特に次のことを大切にしている。

・パートナーと対等であること(特に重視)
・パートナーを性的にケアすること

そして、具体的には次のような対応をしている。

① パートナーを性的に訓練することはしない
② パートナーが性行為を求めてきて、自分もその気のときは性行為をする
③ 自分からはパートナーのことを誘わない
④ パートナーを性的にケアする

ゼータの人々はこれらの指針によって倫理的な問題をクリアしてパートナーと生活できていると主張しており、僕はたしかにこれによって倫理的な問題をクリアしていると言えると思う。しかし、これで筋を通せているとは思わない。

 まず、①について。人間どうしの場合に置き換えて考えてみると、互いにいろいろ工夫や努力してよりよい性関係を追究していくことは倫理的に問題ないと思える。なので、パートナーを性的に訓練することがすなわち悪とは思えない。これは相手が動物であることから、パートナーに性的魅力の向上を要求することはセックストイ化による搾取になる可能性が高いことから課した保守的なルールなのかもしれない。あるいは、世間からそう誤解されることを防ぐための戒律のように思える。これは動物側がより高度な性生活を得る機会を奪っているのではないか?

 次に③について。②のようにパートナーは自分のことを誘うことができるのに、自分からパートナーのことを誘うことができないというのは「対等」ではない。彼らが尊重しているパートナーとの「対等性」が崩れている。

 最後に④について。本書の中では「パートナーが性的な抑圧によりイライラしていることがわかるとマスターベーションを手伝う」という習慣が書かれており、実際に著者はゼータのメンバーがパートナーのオス犬のペニスを触って射精させる様子を取材している。ゼータがそう呼んでいるのか、本書ではこれを「マスターベーション」と呼んでいるのだが、マスターベーションではなくないか??「手で抜いてあげる」だと思います。二人でやってるのでこれを「性行為」と言ってしまえば、「②の対応の本番なし版」ということで納得できるっちゃできるが、これも結局のところ「対等」でないのである。なぜなら、ゼータは人間側がパートナーに手伝ってもらって一方的に性欲を満たしてもらうことは許していないのだから。

 以上のことから、ゼータは倫理的であることを大事にしようとしすぎた結果、皮肉にもパートナーと対等ではなくなっていると思った。動物からの性欲は受け止めるが、自身の性欲をパートナーに受け止めてもらおうとは思っていない。対等性を尊重しているはずの彼らが、この非対等性によって自己矛盾に陥っている。「自分から誘うことはしない」というのはつまり「相手が拒否しているかどうかの判断ができない」ということを意味してしまう。彼らが十分にパートナーとコミュニケーションを取れているのであれば、こちらから誘ってみても相手の反応次第で行為に及ぶか諦めるか選択すれば問題ないはずである。

 真にパートナーと対等でありたいなら、この「自分からは誘ってはいけない」「パートナーを性的にケアする」という非対等性を解決しなければならない。この問題を無視し、確実に相手の権利を侵害しない安全圏でのみ動物との性生活を送っているのがゼータなのだと理解した。そして「確実に相手の権利を侵害していないこと」を誇りに思って満足している。現状の社会からの批判に対抗するための武装としては完成度が高いように見えるが、しかしながらこの非対等性によってゼータは自らと動物とが対等でないことを認めているようなものである。

 

 ゼータと喧嘩別れをしたエドガーのような「他のズー」たちのことは本書ではほとんど描かれていない。この本は上記のように倫理的な意識が高い「聖なるズー」のことが書かれた本である。筆者がこの先ゼータを超えて、よりディープな世界に踏み込んでいくのであればその内容は非常に楽しみである。ゼータの活動取材を中心とした本書の内容は十分興味深くはあったが、結局は「性的なケアも含めた丁寧な動物愛護を大事にしてます」と主張して、かつそれを「動物性愛者が実践するとこうなる」というものに感じた。つまり「動物愛護」の域を出ていない。そういう「批判されないようにした見せかけの対等」ではなく、「真の対等」が成立している世界があるとするならば、それがどのように成り立っているのか知りたいと思う。

 

  ちなみに、「動物の側から誘ってくる」という現象の真偽については下記動画をご覧ください。

www.youtube.com

たけの大喜利修行 その3 ボスの思考分析(漫才から)

 どうも、たけです。この企画ではGERA放送局「ママタルトのラジオ母ちゃん」の「ガチの大喜利」コーナーで採用されることを目指して大喜利修行をしています。

 

昨日の敗北を踏まえ、ボスであるママタルトの漫才の感想を述べていきたいと思います。

shogakuyonensei.hatenadiary.com

 

 といいつつ、まずは漫才の話の前に、ボス檜原のことをより深く知るためにGERAだけでなくstand.fmの「ママタルトのラジオまーちゃん」の方も聞き始めました(初回から遡って最新まで聞いた)。「霜降り明星のANN0」:「霜降り明星のだましうち」の関係が「ラジオ母ちゃん」:「ラジオまーちゃん」の関係と思って事足りるように思う。stand.fmの方がゆるくて雑談が多い感じ。stand.fmではアプリから直接パーソナリティにメッセージやネタを送ることができる「レター」という機能があり、地上波ラジオやGERAでは「メール」のところを全て「レター」としている。この「レター」というキーワードはいずれ大喜利で使えるかもしれない。

 

 さて、本題の漫才の話。M-1の準々決勝の動画がGYAO!に上がった。僕が特別応援していたのはママタルト、真空ジェシカコウテイ、ラランド、シンクロニシティであり、このうちコウテイだけが準決勝に進出した(ラランドは温存してたり忙しすぎたりするのかもしれないけど「ありネタ感」がちょっと強すぎますね)。真空ジェシカとママタルトは大喜利力が強すぎるし、ママタルトはそこに大鶴肥満という爆弾をぶち込んでくるので強すぎる(のに落ちる)。

 ここ数年、予選の動画からチェックするようになると、「ネタのブラッシュアップ」という要素を楽しめることに気が付いてくる。ママタルトのネタに関しては、stand.fmのラジオで「最近はずっとボディガードのネタをかけてた」ということを話しており、これは2018年の霜降り明星における「豪華客船」と同じようなものと見受けられる(霜降り明星は毎月の単独ライブで毎回中身の違う「豪華客船」をやり、ウケたところを結集した「豪華客船」をM-1の一本目でやった)。なので「ボディガード」が一番の勝負ネタなのだと思っていたが、準々決勝の動画を見ると「大食いトーナメント」のネタをしていた。

 

 同じタイトルのネタで、M-1でやったネタと春夏にやってたネタとの違いを、「ボディガード」と「大食いトーナメント」で比較すると、「ボディガード」の方が圧倒的に進化しているのがわかる。

 

・ボディーガード(ラフターナイト)

youtu.be

ボディガード(M-1

youtu.be

 

・大食いトーナメント(ラフターナイト)

www.youtube.com

・大食いトーナメント(M-1

gyao.yahoo.co.jp

 

 ここから類推できることの一つは、「大食いトーナメントのネタは完成していたのでこれ以上磨く必要がなかった(ので最近は優先的にボディガードのネタを磨いていた)」ということである。M-1で優勝するには2本強いネタが必要なので、大鶴肥満の巨体を生かした大食いトーナメントのネタが、決勝において一本目にふさわしい自己紹介も含めた勝負ネタとして君臨しているのかもしれない。あるいは、最新版で増えた大鶴肥満が3回転するくだりがおもしろすぎるので十分進化していると言えるのかもしれない。

 

 さて、これは大喜利修行の記事である。大喜利に活かせるヒントはないかという視点でものを見るべき場である。そこで審査がより厳しい準々決勝に「ボディガードの長尺版」ではなく「大食いトーナメント」を持ってきた理由として浮かび上がってくるのは、「ママタルトはどうしてもトーナメントが好き」という見方である。「幽遊白書」にも「グラップラー刃牙」にもトーナメントは出てくる。トーナメントはおもしろい。檜原チェアマンはトーナメントがお好き?

「プロゲーマー」のネタでも「トーナメント」が出てきただけで爆笑が沸き起こっている。

youtu.be

次回以降のネタ投稿では「トーナメント」に絡められるチャンスをうかがっていこうと思う。

「A子さんの恋人」 感想・考察

 どうも、たけです。

 漫画「A子さんの恋人」がめちゃくちゃおもしろかった。7巻完結とコンパクトなのもあってまとめて一気に読んだ。何度かタイトルは聞いたことがあった上で、最近完結したのをきっかけに佐久間PのANN0のオススメエンタメで紹介されていたので読む気になった。

 普段は読まない女性誌(「のだめ」以来かも?)の漫画なので全体的に新鮮だった。おもしろすぎたのと、ストーリーの感じとで、ドラマ化される未来がよく見える。逆に言えば、ドラマが話題になってた「逃げ恥」とか「凪のお暇」とかもこんなにおもしろいということか??(どちらも見てないが、読んだ方がいいのか??)

 

 ざっくりとあらすじを言えば...

29歳のA子さんは優柔不断が度を過ぎていて、縁を切ろうにも切りきれなかった末にA太郎とA君という二人の男性と恋人っぽい状態を維持したある種の二股、あるいは三角関係てきな状態に陥る。マンガ家であるA子は仕事に励みつつも、美大時代からの友人であるK子、U子とつるみながら「うだうだ延長したモラトリアム」を楽しんでいた。一方、A君との別れ際にとっさに言った「一年で帰る」という約束の期限は刻々と迫っており...

みたいなね。

 

1エピソード1エピソードがおもしろいので、常におもしろい。その中で始終を貫く本筋が見事に結実して圧巻でした。「三角関係の中でおろおろする主人公」てきな単純なラブコメじゃないです。

 

以下、ネタバレ感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、技法的な話。「ざっくりしたその日のハイライトを描いた後、各人物視点で『実はその背景ではこんなことが~』と詳細を遡って描く」というやり方は強すぎる。ミルクボーイの漫才くらい、ちゃんとやれれば絶対におもしろくなるフォーマット。みごとだった。

 

 次にストーリーの話。 読み終わって、「え、え、え、永太郎~~~~~!」ってなりました。そして、なんだか化かされた気分。

 勝手に「三角関係の中でおろおろする主人公」てきなラブコメを想定して読んでいたのだけれど、いざ完結まで読んでみると全然そんなことない。三角関係なんてなかった。A子がA太郎の部屋に戻る可能性なんてずっとゼロだったのだ(A君と比べてちょっと顔がいい、程度)。A子は「荷物が少なくて」「縛られない人」なのでA君との「結婚」という過ごし方がしっくりこなかっただけであって、最初から最後までA子の中ではA君の方が勝っていたし、A太郎に気持ちが行った瞬間なんてなかった。「A太郎はみんなに好かれる」という魔力に僕もやられていた。A子がA太郎との間に抱えているのは「過去の不義理に対する責任感」だったり「それが作家性に与えた影響」である。[①A子-A君]の関係と[②A子-A太郎]の関係は同列に並べられるものではなく、①は現在進行中の恋であり、②は過去に残した未解決の課題なのである。

 「縛る」というのもキーワードだった。A子さんは「縛られない人」であり、A君もA太郎もそんなA子さんが好きである。その上で誰が誰をどう縛っているのか。それをそれぞれが気にして、その縛りを解いてあげようともがく、思いやりあう関係はきれいだった。

 僕の中では、当初29歳の美大の同期たち主要人物(A子、k子、U子、A太郎、(一応あいこも))と、A君とは分けて認識している。A君は「モラトリアムの延長」をしてないし、美術へのスタンスを示すビーチにも並んでいない(もちろんA君は翻訳のことで悩んでいたし創作者としてくくることも可能だが)。美大生たちの中では「友人関係とは別次元に存在する芸術的才能という軸での比較」というのが人間関係を複雑にしており、A太郎とA子の恋愛関係というのも、純粋な恋愛感情だけでなく、作家としてのリスペクトが混在したものであった。そういった恋愛における不純物の外側にいたA君というのは、A子のことをより素朴に好いていた存在として、結局最初から最後まで余裕で強い立場にいたのである。

 読み終わってみると「結局最初から最後までずっとA君で揺るぎなかったんやんけ」みたいな気持ちになり、これはあだち充漫画(特に「H2」とか)で「結局最初から決まってたやん〜」みたいな気持ちになるのと同じものを感じた(恋愛関係ではないが精算しなきゃいけない大切な関係がある、みたいな感じとかめちゃH2)。あるいは、A太郎目線で見れば「秒速5センチメートル」である。そしてそうなるとこの物語の主人公はA太郎なのではないかとまで思わされるくらい、A太郎は感傷的な存在だった。

 モラトリアムを延長してしまった大人達(A子、k子、U子、A太郎、あいこ)の群像劇であったが、特に、A子とA太郎の青春物語としての部分が印象に残った。自分もモラトリアムを延長してる自覚が強くあるので沁みる。30歳になるの恐えーっ!

 

 名作だった。また少し間を開けて読み直したいと思う。